(Pixhere, CC0)

 2023年7月19日、中国のシンガーソングライター「刀郎」さんは、オリジナルアルバム『山歌寥哉(さんがりょうさい)』をリリースしました。アルバムの2番目に収録されている『羅刹海市』という曲は、有名な短編小説集『聊齋志異』からヒントをもらったそうです。
 この曲は世に出ると、すぐに多方面に渡る議論と解釈を引き起こし、海外でも有名になりました。2023年7月30日午後6時現在、全世界のオンライン再生回数が80億回に達し、韓国人歌手PSYが制作した「江南(カンナム)スタイル」のYouTubeでの再生回数40億回を上回ったと、一部のメディアは報じました。
 刀郎の曲『羅刹海市』は、『聊齋志異』の中の「羅刹海市」の前半部分の物語から題材を得ています。歌詞の中の馬驥(ばき)も「羅刹海市」の主人公です。歌詞の内容は主に「善悪を転倒させる」「美醜を区別しない」という現実を批判しており、歌詞の最後にはオーストリアの哲学者ウィトゲンシュタインの「言えることははっきり言えるものだ。語りえぬものについては沈黙せねばならない」という言葉が引用されています。この比喩は「良し悪しの区別もつけない」世の中の様相が、人類にとって根本的な問題であることを暗示しています。
 今回は、刀郎さんの歌の話から、蒲松齢(ほしょうれい)が描いた「羅刹海市」の物語を話します。

 羅刹(らせつ)

 『羅刹海市』の主人公の名前は馬驥(ばき)です。彼は風流洒脱で、音楽や舞踊を好み、舞台公演の演出もしていました。馬驥は、少女のような美しい顔を持ちながら、才知も優れていたので、「俊人」というあだ名もあります。馬驥もそのあだ名に負けず、14歳で秀才(科挙制度の最初の試験)にも合格しました。
 馬驥の父親は商人でしたが、高齢になり仕事をやめて家にいました。父親は馬驥にこう言いました。
 「どんなに勉強したって、食べる物が買えなくては、飢えてしまうし、着る物を買えなければ、寒さを防ぐこともできない。息子よ、家業を継いで、商売をやってはくれないか」

 ある時、馬驥が海外での仕事をしていた時、海上で嵐が発生し、船が転覆しました。彼は数日間漂流したあげく、ある土地に上陸しました。
 この土地は、街の人々の容姿が結構醜いことに、馬驥は気づきました。これらの醜い人々は、美少年のような馬驥を見ると、まるで幽霊にでも会ったかのように非常に驚き、四方八方に逃げ去りました。馬驥は海上で九死に一生を得たものの、まだ精神状態が落ち着いておらず、この奇妙な場所にやって来てとても怯えていました。しかし、彼を見た人々が彼よりも怯えていたとは、誰が思いつくでしょうか。
 馬驥はあちこちさ迷い歩き、山の中のある村にやって来ました。村民たちは乞食のようなボロボロの服をまとっていましたが、彼らのほとんどはそれほど醜くはなく、少なくとも五官(目、耳、鼻、舌、皮膚)の位置は中原の人と概ね同じでした。
 最初、村人たちは彼を恐れ、近づこうとしませんでした。時が経つにつれ、村人たちは馬驥が人食い妖怪ではないと分かるようになり、徐々に馬驥と交流するようになりました。言語は違っていましたが、馬驥は村人たちの話す言葉のだいたいの意味を理解することができました。
 村人たちは、馬驥が二万六千里(1万3千km)も離れた中国から来たことを知って、たいそう喜びました。なぜなら、年長者たちは以前、中国について話していましたが、とても遠いところでしか認識できず、ぼんやりしていました。けれど今、馬驥に会ったことで、村人たちは「中国」という場所が存在するのだと、ようやく確信ができたからです。
 村人たちは村で宴会を開き、馬驥を招待してくれました。
 馬驥が村民に「なぜ村はこれほど貧しいのですか?」と聞きました。

 村人たちは溜め息をつきながら言いました。
 「私たちの国が重んじているのは学問ではなく、容姿なのです。もし特別に容姿がよければ、将軍や諸侯に任じられますが、そうでなければ、小役人に任命されます。私たちと同じように育った者は、ほとんど親に捨てられ、子孫を残すためにほんのわずか残されただけです」
 村人たちは馬驥に「この地は『大羅刹国』と呼ばれ、都は北に30里(15km)離れたところにあります」と言いました。
 馬驥は、都まで連れて行ってくれるよう、村人たちに頼みました。村人たちは、貧しくとも善良で純朴だったので、馬驥の求めに応じてくれました。

 翌日、馬驥は村人たちの後につき、都に到着しました。見ると、城壁は墨のような黒い石でできていました。楼閣は極めて高いけど、瓦はありませんでした。家々の屋根は朱色に似た赤い石で覆われていました。
 午前中あたりが、ちょうど朝廷が退廷する時間で、大きな輿が宮殿から運び出されていました。村人たちは馬驥に「これから宰相が出て来ます」と言いました。
 馬驥が目を凝らして見てみると、その「宰相」というのは、両耳が頭の後ろの方向に向けて生え、鼻の穴が3つあり、すだれのように長い睫毛は目を覆っていました。
 宰相の輿が通り過ぎた直後、馬に乗った数人の役人が出て来ました。村人たちは、彼らが重臣だと言いました。
 馬驥が改めて見ると、それらの「重臣」たちは皆、髪を振り乱し、獰猛で不細工な醜い容貌をしていました。むしろ官職が低い者の方がさほど醜くなく、見た目は少し良かったのです。
 なんと、この大羅刹国は「醜いことが美しい」という価値観をもつ国だったのです。

 長い期間が経ち、その村に住んでいた馬驥は広く知られるようになりましたが、敢えて彼に会いに来ようとする者はいませんでした。
 村人は「この近くに執戟郎(武官の職)がいます。執戟郎様はかつて、多くの国を訪れたことがあり、博識で見聞が広いから、あなたを怖れることはないはずです」と馬驥に言いました。
 この執戟郎様も目が突き出ていて、カールしたハリネズミのような口髭を蓄え、とても奇妙でした。しかし、彼は馬驥に会えたことをとても喜び、馬驥を賓客としてもてなしました。
 執戟郎は「私はこれまで使者として多くの国を訪れましたが、中国には一度も行ったことがありません。120歳を超えた今、中国の人に会えたことを光栄に思います。私は必ず皇帝に報告しなければなりません」と言いました。
 執戟郎はさすがに外交官だけあって、見識が広く、馬驥を恐れないばかりか、食事にも招待してくれました。酒を何杯か飲んだ後、十数名の女性歌手や踊り手を招いて座を盛り上げました。これらの女性歌手はまるで夜叉のようでした。頭に白い布を巻き、地面を引きずる赤いドレスを着ており、歌っている歌詞は理解できませんが、独特なイントネーションとリズムがありました。
 執戟郎は馬驥に「中国にはこのような素晴らしい歌や踊りはありますか?」と聞きました。馬驥が「あります」と答えると、執戟郎は馬驥に即興でやってほしいと頼みました。
 すると、馬驥は手で机を叩きながらリズムを取って、一曲歌いました。聴いていた執戟郎はとても驚き「素晴らしい。あなたの歌は鳳凰(ほうおう)が啼き、龍が吠えているかのようです。私は今まで多くの国を訪れましたが、このような歌は聞いたことがありません」と言いました。

 翌日、執戟郎は馬驥を推薦するために参朝しました。最初、国王は喜びましたが、数人の重臣たちは馬驥の姿があまりに「奇妙」なのを見て、国王が驚いてしまうのではないかと恐れていました。国王も、おじけづいてしまったため、馬驥を召見しませんでした。
 執戟郎は馬驥にとても申し訳ないと思いましたが、却って馬驥と親しい友人になり、馬驥を自分の家に住まわせ、しょっちゅう一緒にお酒を飲んでいました。

 ある時、馬驥は酒を豪快に飲み、剣を持って踊りだしました。興を添えるために、三国志の張飛に扮するごとく、自分の顔に煤(すす)を塗りました。執戟郎はその姿を美しいと思い、もしその扮装を続けられれば、宮廷の上層部の役人たちにも受け入れられるだろうと考えました。
 馬驥は「偽りの顔で栄光や富を求めてどうするのでしょうか?」と言いました。
 ところが、執戟郎はかえって熱心になり、多くの宮廷の重臣たちを自宅に招いて酒宴を開き、馬驥には顔を塗って待っているようにと言いました。
 重臣たちがやって来ると、煤を塗った馬驥の顔を見てみな驚きました。「数日前見た時はあんなに醜かったのに、今日このように美しいのはどうしたものかね?」と言って、喜んで馬驥と一緒にお酒を飲みました。
 馬驥は、自分の顔が煤けて黒いのをみんなが気に入ってくれているのを見て、とまどいながらもうれしくなりました。彼は歌ったり、踊ったりして、宴会のために『弋陽曲』という歌を歌うと、招待客はみな魅了され、「この歌は中国にしかなく、羅刹ではそうそう聞くことができる歌ではない!」と賞賛しました。

 国王はすぐに馬驥を大臣に任命し、特別な恩寵を与えました。しかし、時が経つにつれて、馬驥の顔が本当は黒くなく、煤を塗っていることに気づくと、大臣たちはだんだんと陰で非難し始め、彼を遠ざけるようになりました。
 またもや、当初のように孤立無援の状況に戻ってしまいました。馬驥は、辞職願いを提出しましたが、国王が許可しなかったため、休暇を願い出ると、国王は彼に3か月の休暇を与えました。彼は金銀財宝を満載した公用車で、当初住んでいた貧しい山村に戻りました。
 村人たちは、道端に跪いて彼を迎えました。馬驥は車に積んであった金銭や財物をすべて、以前親切にしてくれた村人たちに分け与えました。村人たちはみな大変感激して、馬驥の恩恵を受け入れましたが、すぐには報いる方法がないため、日を選んで「海市」に行って珍しい宝物を探してお礼をしたいと、馬驥に言いました。 

 これを聞いて、馬驥は結構気になり、「海市はどこにあるのですか?」と聞きました。
 村人たちは、「海市は、四海から集まる蛟人が宝物を売る所です。この周辺の12か国の人がそこへ商売をしに行き、海市が賑わう時にはそこに行く仙人も多くいますよ。しかし、波が荒く、雨雲が空をも覆い、道中はとても危険です。貴族たちはふつう、自ら危険を冒すことはなく、私たちにお金を渡して、異国の珍しい宝物を買って来させるのです」と言いました。
 馬驥が「海市はいつですか?」と尋ねると、村民たちは「もうすぐですよ。あと10日か半月過ぎれば海市です」と言いました。
 馬驥がまた「あなた達はどうやって海市の日が分かるのですか?」と聞きました。
 村民たちは笑いながら「閣下でもご存知ないことがあるんですね。もし、赤い鳥が海の上を行ったり来たり飛び舞うのが見えたら、7日後に海市が開かれますよ」と言いました。
 馬驥はとても興味をもち、村人たちと一緒に見に行ってみたいと言いました。しかし、村人たちは「道中はあまりにも危険なので、欲しい物がおありでしたら持って帰ってあげますよ」と言いました。

 馬驥は笑いながら「私は海上貿易で、各地を行き来する行商人です。風や波の高さや速さなんて、恐れることがあるはずがない!」と言いました――。

 次回、馬驥の羅刹国での冒険譚が続きます。もうすぐ訪れる「海市」とは一体どんなものなのでしょうか?馬驥が「海市」に行くと、どんな急展開が待ち受けているのでしょうか!?

(翻訳・夜香木)