孫思邈(そん・しばく)は、「薬王」「孫天医」とも呼ばれ、古代中国の有名な医師であり、気功健康法の実践者です。言い伝えによると、彼は西魏王朝期に生まれ、141歳まで生きたそうです。
 若い頃の孫思邈は、よく病気に罹るため、自ら医学を学び、経史と百家学説に博通(はくつう)していました。7歳の時に「日に千言を誦す」、つまり毎日数千字の文章を暗唱することができ、「神童」と呼ばれました。20歳の頃には、老子や荘子の理論をうまく語ることができ、仏典にも精通していました。唐王朝期には、孫思邈は官吏になることを拒否し、唐の太宗は自ら山に登って彼を訪問し招聘していたそうです。
 しかし、孫思邈の事績で最も有名なのは、唐王朝期以前の臨床経験と医学理論をまとめ、『千金要方』と『千金翼方』の二部の医学名著を編纂したことです。

一、孫思邈の著作

 孫思邈は、薬理学の研究に多大の心血を注ぎました。薬の収集と加工からその特性の認識、処方箋と薬の組み合わせから臨床治療に至るまで、孫思邈は先人の医学文献を参照し、それらを数十年にわたる臨床現場での彼自身の経験をもとに、中医学史上において重要な学術的価値のある二部の傑作『千金要方』と『千金翼方』を執筆しました。
 『千金要方』は全30巻で、現代の臨床医学の分類法に近い232の分類に分かれています。孫思邈は「人の命の重さは、千両の黄金の貴さがある。人の命を救う処方が積める徳は、それ以上の貴さがある①」と信じていたため、表題に「千金」という言葉を付けました。全書に収録されている「方(処方)」と「論(理論)」は5,300首にのぼり、内容が広く豊かで、唐王朝期の医学発展を代表する傑作です。後世の医学、特に「方剤学」の発展に多大な影響と貢献をもたらし、日本をはじめとする隣国の医学の発展にも積極的な影響を与えました。
 全30巻の『千金翼方』は、孫思邈の晩年の著作であり、『千金要方』の全面的な補足でもあります。この本は189の分類に分かれており、合計2,900首以上の「方(処方)」「論(理論)」「法(治療法)」があり、800種類以上の薬が収録されており、漢方薬、傷寒病(しょうかんびょう、急な発熱)、中風(風邪)、雑病、皮膚病などの説明が特筆されています。現代の言う内科、外科、婦人科疾患、小児疾患の臨床治療について、孫思邈は『千金翼方』でさらに多くの治療法と適応症を追記し、さまざまな病気の条目の前に予防と治療に関する自分の見解と思考をまとめました。病気治療において、まさに「為虎添翼」、虎に翼を付け加えたような著作のため、『千金翼方』という名前が付けられました。
 『千金要方』と『千金翼方』のほか、孫思邈はまた『老子注』『荘子注』『枕中素書』など、生涯にわたり80以上の著作を執筆しました。

二、孫思邈の医者としての理念

 孫思邈は「医は仁術」の精神を具現化しました。彼は『千金要方』のはじめの「論大医精誠」の章で次のように書きました。
 「医者が病を治すには、必ず神志を安定させ、欲求を無くし、非常に大いなる慈しみや憐れみ痛む心を発して、生ける者の苦を救うと誓いを立てるべきである。もし、病にかかり救いを求める者がいれば、貴賎貧富や年齢、美醜、憎き者、親しき者、同族、異族、愚者、智者に関わらず、皆同じ様に接し、親族のように思い、後先に悩まず、己の吉凶を考えず、自らの命を護り惜しむようになってはいけない――②」
 これらの言葉で、孫思邈の医者としての崇高な品徳が体現されました。
 孫思邈は、具体的な病因と症状を分析してから治療法を判断することを主張し、「摂生ができれば病気を免れる」と信じ、「良い医者が薬石で導引し、鍼灸などで治療することで、体の病気を治したり、人生の災いを軽減したりすることができる③」と主張しました。彼はまた、母子保健を重視しており、執筆した『婦人方』全3巻、『少小嬰孺方』全2巻は『千金要方』の先頭に順番付けました。

三、孫思邈の学術成果と医学貢献

 『千金要方』は、基礎理論から臨床主題までの各科、理論、方法、処方、薬を網羅した中国最古の医学百科事典です。古代の文献資料と民間の処方のそれぞれ優れたところを広く吸収し、誰でもわかりやすく参照できるほか、適切な緩急までつけています。現代においても、指導的な役割を果たしている内容は多く、学術的価値が極めて高く、まさに中医学の重宝なのです。
 また、「養生」を提唱していた孫思邈は、自ら実践し、養生の方法に精通していたため、百歳を超えても視覚と聴覚を正常に保つことができました。彼は、儒教、道教、古代インド仏教の養生理論と伝統的な中医学の養生理論を組み合わせ、簡単に実行できる養生の方法を多く提案しました。例えば、「精神のバランスを保ち、やみくもに富や名声を追い求めないこと」「食事は適度に、食べ過ぎないこと」「気と血の巡りに注意し、怠惰にならないこと」、「規則正しく生活を送り、自然の法則に反しないこと」などの提言は、今でも人々の日常生活を導いています。
 そして孫思邈は、「尿道カテーテル治療」の発明者でもあります。記録によると、尿閉を患い、排尿できない患者がいました。孫思邈は、患者が閉塞に苦しんでいるのを見て、「薬を飲むのはもう手遅れだ。尿道に管などを入れれば、尿が出てくるかもしれない」と考えました。そこで、近所の子供が、先が尖っていて細くて柔らかい一本の長ネギで遊んでいるのを見ました。孫思邈は、ネギ管でやってみようと思い、適当なネギ管を選び、火で消毒し、尖った先端を切り落とし、慎重に患者の尿道に挿入し、もう片端から強く息を吹き込みました。しばらくすると、本当に尿がネギ管に沿って流れ出しました。患者の膨れ上がった腹も徐々に平たんになり、病気も回復しました。

 孫思邈は、徳によって人格を磨き、身体を養い、見事な医術と徳高い人格で、歴代の医者たちと人々から尊敬される偉大な人物となりました。


①中国語原文:人命至重,貴于千金。一方濟之,徳踰于此。(孫思邈『備急千金要方』より)
②中国語原文:凡大醫治病,必當安神定志,無欲無求,先發大慈惻隱之心,誓願普救含靈之苦。若有疾厄來求救者,不得問其貴賤貧富,長幼妍媸,怨親善友,華夷愚智,普同一等,皆如至親之想。亦不得瞻前顧後,自慮吉凶,護惜身命。(孫思邈『備急千金要方』より)
③中国語原文:良醫導之以藥石,救之以針灸。聖人和之以至德,輔之以人事。故體有可消之疾,天有可消之災。(『太平広記・医一<孫思邈>』より)

(文・山行/翻訳・宴楽)