今日ネットでは、中国共産党の滅亡とその党首の習近平の悲惨な運命についての預言が蔓延っています。

 古代中国の預言書には、三国時代の『馬前課』、唐の『推背図』、宋の『梅花詩』、明の『焼餅歌』等がありますが、中には、「鉄板図」と言う書物もあります。

一、中国の民間預言書:鉄板図

 「鉄板図」はいつの時代から流伝し始めたかは検証ができませんが、民間に密かに伝わっていました。本の中には、歴代王朝の最後の運命を預言する絵が描かれており、それが全て現実となっているため、本に予言されたことは鉄板のように固く変わらないものとなることから、「鉄板図」と呼ばれるようになったそうです。

「鉄板図」

 「鉄板図」の最後の絵は、中国共産党の滅亡を予言していると推測されています。その絵には、5羽の鳥が描かれています。その内の4羽は黒い鳥で、すでに峠を越えて飛んで行きましたが、最後の5羽目の白い鳥は、右側の断崖絶壁に衝突し、血を流して墜落している様子が描かれています。絵の左下に「白羽毛鸟儿撞死在山这边」、つまり「白い羽の鳥は山のこちら側で墜落死」と書かれています。

 5羽の鳥は中国共産党の5人の党首を表していると解釈されています。 4羽の黒い鳥はそれぞれ毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤を表し、5羽目の白い鳥は習近平を表していると見られています。習近平の「習」は、「白」と「羽」からなっているため、習近平は5羽目の「白羽の鳥」と思われているのです。

 そして、この絵は2つのことを預言していると思われています。一つは、習近平(白羽の鳥)が中共王朝の最後の「皇帝」となり、中国共産党は習近平の代で滅亡すること、もう一つは、習近平(白羽の鳥)は、中国共産党に殉死してしまうことです。

二、運命を変える道があるか

 習近平は預言通りの運命を辿るのか、と話題を呼んでいます。というのは、習近平は中国の党、政府、軍の頂点に立ち、全ての権力を掌握しているように見えますが、実は極めて危険な崖っぷちに立たされているからです。

 崩壊寸前の中国経済、高官や将軍達の相次ぐ失脚、中国社会における習近平おろしの声の高まり、台風や洪水による甚大な被害、諸外国から狭められる包囲網など、習近平政権が不安定な状況に陥っているのは紛れもない事実です。

 さらに重要なのは、中国共産党の崩壊はまさしく誰の意志によるものでもなく、その天意が既に顕れているということです。中国貴州省平塘県の観光スポットに出現した「蔵字石」(注1)に刻まれた「中国共産党亡」の6文字は、天意が示されている証拠です。

「中國共産党亡」の6文字が刻まれた巨石(ネット写真)
「中国共産党亡」の6文字がはっきりと印刷されている「国家地質公園」の入場券(イメージ:大紀元)

 習近平は預言通り共産党の滅亡と共に滅ぶのか、それとも、共産主義の呪縛から逃れて民主と法治の道を選び、自らの運命を変えるのか、いよいよその決断の時が迫って来ています。

三、習近平の運命は変えられるか

 これまで、習近平は「中華民族の偉大な復興」を実現するというビジョンを掲げ、対内においては、ウイグル族に対する迫害を行い、非人道的なゼロコロナ政策をとり、香港の一国二制度は50年間維持するという約束を破り、台湾に武力で統一すると脅かし、他国に対しては、戦狼と呼ばれる覇権的な姿勢で臨んできました。

 毛沢東崇拝者としての習近平は果たして共産主義を捨てて、民主と法治の道を選ぶ可能性があるでしょうか?

 恐らくほとんどの人は不可能だと思うでしょう。

 しかし、習近平の人生を振り返って見れば、確率が極めて低いものの、予想外の展開も全くないわけではないと私は思いたいのです。その理由を幾つかを挙げてみましょう。

1)中国伝統文化の遺伝コード

 毎年新年早々、中共総書紀の習近平は必ず自らの執務室で世界に向けて挨拶の言葉を送ります。その背後にある様々な書籍が並べられている本棚には、中国の古典である『群書治要』という本が置かれています。その本には謎を解くヒントと、日本との不思議な縁のエピソードが隠されています。

 『群書治要』は唐の太宗李世民の勅命により、先秦から唐代までの67種の典籍から、治世の上で参考にすべき文章を抜粋し、唐の貞観五年(631年)に完成したものです。

 『群書治要』は中国本土では1000年もの間散逸し、遣唐使が持ち帰ったコピー版のみが日本の歴代天皇や武家に重んじられ、伝存されていました。本書が中国に戻ったのは清朝になってからのことだとされています。

 1990年代に、日本の皇室関係者が宮中に伝わる『群書治要』の江戸時代の写本を、当時中国駐日大使の符浩に贈りました。

習仲勲が『群書治要考訳』(2011出版)に「古鏡今鑑」と題字を揮毫した

 帰国後、符浩は同郷の先輩で大物高官である習仲勲に相談を持ちかけました。習仲勲は習近平の父親で、かつて副総理を務めていました。当時既に引退していた習仲勲は、この古書に関心を持ち、早急にプロジェクトを作り研究を開始させました。習仲勲の後押しでこの古書は『群書治要考訳』という題で刊行されました。

 「民惟邦本,本固邦寧(民は惟れ邦の本、本固ければ邦寧し)」、「民為貴,社稷次之,君為輕(民を貴しと為し、社稷は之に次ぎ、君を軽しと為す」、「修身、斉家、治国、平天下」等の中国の伝統的な治国理念を、習近平は父親から少なからず受け継いでおり、心の奥底のどこかに、中国伝統文化の遺伝子が眠っているはずです。この数年間、習近平は数十回もこの本を引用していました。

2)16年間も拘束される父親の悲劇

 習近平の父親の習仲勲(1913-2002)は、陝西省の田舎に生まれ育ちました。日中戦争期間中、中国西北部で同志らと共に革命の根拠地を作り、それがその後、中国共産党が全国に勢力を拡大していく拠点となりました。その功績によって、中国共産党が政権を取ってから、1959年4月28日に、習仲勲氏は副総理に昇格しました。

 しかし、その後、習仲勲は共産党の凄まじい権力闘争に巻き込まれ、1962年、毛沢東から批判され、反党集団として党内外の全職務を解任されました。文化大革命中、習仲勲は造反派に引き回され糾弾を受け、 毛沢東が死去してから2年後の1978年まで、16年間も拘束されるなど残酷な迫害を受けました。

造反派に引き回され糾弾を受ける習仲勲(1967年)(パブリック・ドメイン)

3)文革中に迫害を受けた習近平とその家族

 文化大革命の嵐の中、習近平の母親も公の場で批判を浴びせられ、暴力もふるわれました。習近平の実家は紅衛兵によって破壊され、異母の姉は迫害によって自殺(餓死の説も)してしまい、妹も下放され、素手でレンガをつくる作業を強制され、食うや食わずの生活を経験していました。

 当時中学生だった習近平も酷い被害を受けました。彼は十数回も批判大会に引き出され、反動学生として4回も投獄されてしまい、その挙句、まだ中学生だった習近平は陝西省の寒村に下放され、農作業を強いられ、苦難な日々を過ごしました。

 習近平自身も、その家族も共産主義の被害者で、共産党の非人道性と残虐性を誰よりも知っているはずです。自分の家族に迫害を加えた毛沢東を手本にせず、共産主義独裁者を目指さないで、文革で自分と自分の家族が受けた迫害を反省し、良識と正念を持って共産主義の邪悪さを認識してほしいです。

四、共産主義の呪縛から脱出できるか

 習近平は成長期に文革に遭いあまり勉強はしませんでしたが、共産主義の洗脳教育をしっかり受けています。1972年、彼は推薦によって清華大学に入学しました。卒業後、中国共産党の幹部をしながら、清華大学のマルクス主義の博士号を取得しました。

 国家主席への就任が決まった2012年当時、習近平氏は開明的で、腰が低く、民主主義的思想にも理解のある人物として受け止められていました。その後、反腐敗という大義名分の下、共産党内部の多くの政敵を粛清し、全ての権力を掌握した習近平は、中国のゴルバチョフになるのではないかと多くの人が期待しました。

 残念ながら、彼の現在の言動を見れば、その期待は裏切られ、がっかりすることばかりです。

習近平は発言の中でよく『群書治要』から古い言葉を引用していますが、中国の伝統的な治国理政の理念にある普遍的な価値について、どれだけ理解しているのでしょうか。

 被害者だった習近平は現在共産主義の代理人となり、共産主義の邪霊に操られ、悲劇的な結末を迎えようとしています。

 決断の時が近づいています。共産党の殉死者になるか、共産主義の呪縛から解かれて普遍的価値を受け入れるか、それはすべて習近平の選択次第です。彼は今まさしく四面楚歌の状況に陥っています。その絶境を打破するには、彼の良心が目覚めなければなりません。

 習近平に是非善悪をしっかりわきまえ、正しい道を選んでほしいと願うばかりです。

(注1) : 2002年、中国の貴州省平塘県掌布郷にて「中國共産党亡」の6文字が刻まれた巨石が発見された。専門家の鑑定により、2億7千万年前に自然に形成されたと分かる。現在、そのエリアは「国家地質公園」となっている。

(文・一心)