春秋時代・斉の桓公(かんこう)と管仲(かん ちゅう)(清・梁延年『聖諭像解』の挿絵、パブリック・ドメイン)

 先秦諸子のなかにおいて、管仲(管子、かんし)は一番経歴が古い。彼は老子や孔子よりも100年以上前の時代に生きていた。管子の名は夷吾(いご)で、字は仲(ちゅう)である。斉桓公の下で宰相となり、初めて「尊王攘夷」の国策を推進し、周天子を擁護して異族を排斥し、国の安定を守った。孔子に「管仲がいなければ、我々は異族の奴隷になっていたかもしれない」といわれるほどの人物だった。その管子にはいくつかの名言が言い伝えられている。

一、「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」

意味:国家は食糧が充実して国力が強いほど、礼儀作法を推し進められる。百姓は衣食が満たされてからこそ、誇りと恥じを知ることができる。

二、「四維張らなければ、国が滅びる」

意味:四維とは「礼、義、廉、恥」である。国は一本の大きな柱のようで、4本の紐に引っ張られている。その1本が切れれば、柱は歪み、2本切れると国家は危険な状態になる。3本切れたら国は転覆し、4本とも切れたら国が滅ぶのだ。歪みは正すことができ、危険は安全に変えることができ、転覆しても立ち直せるが、滅んだらもう後がない。

 人に礼があれば、道理がわかり、突飛なことはしない。義があれば、自分の身分に相応しくないことを考えない。廉があれば、悪を隠さない。恥を知れば、悪い真似をしない。これらには儒家の道徳理念が含まれ、中国人の行い基準になっていたのだ。

 管子は、国は人と同じく道徳で維持されていると見ている。礼、義、廉、恥が全部なくなれば、いくらお金があっても、軍が強くても天下に成り立たない。これはまるで統治者に「倉廩満ちて礼節を『知らず』」はだめだと警告しているようだ。

三、「一年の計は、穀を樹るに如くは莫し、十年の計は、木を樹うるに如くは莫し、終身の計は、人を樹うるに如くは莫し」

意味:「樹」とは植える、栽培の意味である。一年の計画を立てるなら、穀物を植えればいい。十年の計画を立てるなら、樹を植えたらいい。百年の計画を立てるなら、人材を育成したほうがいい。

 管仲は宰相として、位が高く、見識も一般の人を遥かに超えている。2千7百年以上前の人であるにもかかわらず、その智慧は今も輝き、多くの現代人の無知、浅はか、自己中心、貪欲、恥知らずなのと鮮明な対比となっている。

※管仲の名言(中国語の原文):
一、「倉廩實則知禮節,衣食足則知榮辱」(出典: 『管子・牧民』、『史記・管晏列伝』)
二、「四維不張,國乃滅亡」(出典: 『管子・牧民』、『史記・管晏列伝』)
三、「一年之計,莫如樹穀;十年之計,莫如樹木;終身之計,莫如樹人。」(出典: 『管子・権修』)

(翻訳編集・北条)