中国農業農村部傘下の「農管(農業総合執行隊)」が最近、農作物を破壊し、農民の私有財産を強奪するなど、農村で横行しています。一部の学者は、大躍進以降に発生したような大飢饉が中国を席巻すると警告しています。

農管の横行

 中国農管の任務の一つは、中国当局の「退林還耕(森林をやめて耕作に戻す)」政策の推進で、農民を強制的に穀物の農作に切り替えさせることです。ここ1か月、農管が暴力を振るって畑を壊滅させる様子を映している動画がネット上に大量に投稿されています。

 例えば、福建省漳州市(しょうしゅうし)では、農管が70ムー以上の水仙(スイセン)の花畑を破壊し、上海市嘉定区(かていく)では収穫間近のブドウ園のブドウが4月28日に農管によってすべて破壊されました。また、栽培していた生姜が掘り起こされ、羊小屋が取り壊される農民もいました。

 中国の農家は、古くから正月に自分たちで豚を屠って食べる習慣や、家族の誰かが結婚や亡くなった場合には自分たちで料理を作って、酒宴(しゅえん)を開いて客をもてなす習慣があります。しかし、今ではこれらの行事も農管に禁止されています。ネットユーザーによると、農管は、許可証を取得していない人に豚の屠殺を禁止、健康証明書を取得していない人にはレストランでウェイターとして働くことを禁止し、調理師免許を取得していない人にはレストランでの調理を禁止するなど指令を出しているといいます。

経済学者の分析・警告

 米国在住の経済学者である許成鋼(シュイ・チェンガ)氏は4月28日、大紀元とのインタビューで、中国当局が「農管」を設置した理由について分析しました。この取り組みには二つの目的があるとし、一つは失業した農民労働者を管理することであり、もう一つは全面的な穀物生産を多様な農業に代替させることであると述べました。しかし、この取り組みが災難的な結果をもたらす可能性があるとも警告しています。

 1970年代後半から1980年代前半にかけて行われた中国の経済体制改革は、まず農村から始まりました。改革後、中国の農民は土地の所有権を持っていないが、土地の使用権を与えられ、栽培する作物を自分たちで決められるようになりました。この変化により、中国の経済は成長し、一般国民の富裕度は当時の同じ共産主義国家である旧ソ連を上回りました。

 許成鋼氏は、「しかし、今や元に戻そうとしている。農管の導入は、土地を耕作するための許可書を必要とすることで農民を制御し、穀物の栽培を強制するためである。中国の農業生産はすでに非常に後進的であり、穀物だけを栽培すれば、中国の農業生産はさらに後退するだろう」と述べています。

 許成鋼氏は、「現在、中国農業の強みは多様性にある。農耕地の多くは広い平地ではないので、農民たちはその地域の状況に応じて、様々な作物を栽培している。野菜や果物を栽培したり、魚を養殖したりしている。こうすることで、一方で農民は生計を立てることができ、他方で、中国の市場には様々な農産物があるようになる。しかし、中国当局は農業の多様性を全面的に抑制し、農民たちにすべて穀物を栽培するように迫ると、それは災難になるだろう」と述べました。

 許成鋼氏はまた、中国共産党は現在、この危険な方向に向かって進んでおり、まだ始まったばかりで、当局が「農業の多様性を完全に一掃すれば、間違いなく中国に大きな災難をもたらすだろう。この災難は、大躍進時代と同じように非常に危険なものになるだろう」と指摘しました。

 全軍氏は自身のユーチューブチャンネル「財経全評論」で、さらに緊急の警告として、「(中国は)2年以内に大飢饉が起こるだろう」と述べました。

 全軍氏は、農管の登場は、中国共産党が計画経済を復活させることを示すものだと考えています。今後、中国の農村では、主に稲作や小麦の栽培が中心となり、農民たちはそれを栽培しなければなりません。なぜなら、計画経済には強制的な機能があり、中国共産党政権の指示に従わない農民は逮捕される可能性があります。農管は、中国農村の経済構造に大きく変化をもたらし、農民たちは大量に貧困化するでしょう。

 全軍氏は、果物や野菜もなく、鶏やアヒル、魚や肉もなく、毎日食べるのは穀物だけだと、誰も耐えられないと考えています。また、農管の導入は、中国の食糧生産に大きな問題を引き起こすことになるでしょう。1958年の大躍進時代と同様に、地方政府は中央政府に報告する文書で、単位面積あたりの収穫量を虚偽に報告し、それにより、中国の食糧危機が加速することになるでしょう。

 全軍氏は、今年からその影響が始まり、2024年の秋には食べものない農民たちが外に出て物乞いする現象が現れると予測しています。大飢饉がやってくるでしょう。

大躍進政策と3年大飢饉

 大躍進政策は、中国共産党の初代国家主席である毛沢東が1958年から1962年にかけて推進した経済政策で、農業や工業、科学技術の分野において急激な発展を目指し、集団化や人民公社の設立、大規模な鉄鋼生産などを推進しました。この期間中に、反対派を粛清し、合作社・人民公社・大食堂など国民の財産が全て没収されました。

 中国の「3年大飢饉(さんねんだいききん)」とは、1959年から1961年にかけて、中国で発生した食糧不足の深刻な時期を指します。この時期には、農業生産の急激な増加を目的とした大躍進政策が実施されたため、農業生産力の低下や政策上の問題などが重なり、中国の広大な地域で大飢饉が発生しました。推計によると、この期間に3000万人以上が死亡したとされています。犠牲者は、全員が餓死によるものではありません。そのうちの6%から8%は拷問や処刑によるものとされています。大飢饉の主要な原因について、第2代中国国家主席である劉少奇は、1962年初頭の「七千人大会」で、この災害の3分が天災、7分が人災であったことを公式に認めました。

(翻訳・藍彧)