古代中国の陰陽五行説を由来とし、日本に定着した「季節の節目となる日」は節句と呼ばれ、古くから年中行事を行う節目として大切に扱われてきました。
伝来した当初、年間を通して様々な節句が存在していましたが、江戸時代に、幕府はそのうちの5つを公的な祝日として定めました。それは1月7日の「人日(じんじつ)」、3月3日の「上巳(じょうし)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(しちせき)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」の五節句です。
1月7日の「人日(じんじつ)」は、一年の最初の節句であり、その日に七草粥を食べることから「七草の節句」とも言います。
そもそも1月7日の「人日」はどんな日でしょうか?そして、なぜその日に七草粥を食べるのでしょうか?
一、1月7日の「人日」とは何か?
古代中国の神話に、人類を創造したとされる女神・女媧(じょか)がいます。伝説によると、地球はできた当初、生命が棲息せず侘しい場所でした。生気に満ちた世界にしようと考えた女媧は、正月の1日に鶏、2日に犬、3日に羊、4日に豚、5日に牛、6日に馬を造りました。7日目には、女媧は黄土を手ですくい、自分の姿通りの小さな人形をたくさん作りました。その人形らにふっと息を吹きかけると、人形は体を動かし始め、声を上げ、人間になったとされています。これが人間の誕生を意味します。
言い換えると1月7日は人類が誕生した、とてもめでたい日です。そのため、1月7日は「人日」と呼ばれるようになりました。
古代中国では、1月7日の「人日」になると、新年を迎えるのと同じように、人々はお洒落をし、髪に飾りをつけ、花を贈り合い、様々な行事を行ってお祝いをしていました。
二、「七種菜羹」を食べる習わし
「人日」の食事として、季節に合わせた新鮮な7種類の野菜を入れた羹(あつもの)を食べることが習慣でした。中国の古典『荊楚歳時記』(注1)には「正月七日为人日,以七种菜为羹」という記述があり、即ち「正月7日の人日に七種菜の羹を食べる」という意味です。
七種菜羹の食材は、春の野原に最も先に芽吹いた7つの山菜が使用されます。調理される野菜の種類は地域によって異なりますが、春を代表する最も生命力が強く、逞しい、健康的な野菜が選ばれます。 7種類というのは、「7」が縁起の良い陽数であり、1月7日という数字にも対応していることから来ていると推測されています。そして、その7種類の春野菜を食べると、気力が強まり、邪気が払われ、一年を健康に過ごせるよう期待も込められているそうです。
しかし残念ながら、人日に「七種菜羹」を食べる風習は、現代中国ではもう殆ど見られなくなっています。
三、日本における七草粥を食べる風習
「人日」に7種類の野菜を入れた羹を食べるという習慣は奈良時代に日本へ伝わりました。その後、この習慣は日本古来の若菜摘みの風習と結びつき、七草粥を食べるようになったとされています。
一年の無病息災を願って1月7日に食べる七草粥は、日本の現代生活にも脈々と受け継がれています。今では正月三が日を過ぎると、七草粥に用いられる野菜は早々に店頭に並び始めます。地域によって食材が異なることもありますが、芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏座(ほとけのざ)、菘(すずな)、清白(すずしろ)が一般的だとされています。
あっさりとした七草粥は、年末年始に酷使した胃腸を癒すことができ、滋養強壮の効果ももたらします。
春が戻り、大地が暖かくなりつつある1月7日の「人日」に、タイミングを逃さず、七草粥を食べ、大自然からしっかりとエネルギーをチャージして、元気な一年を過ごしましょう。
注1:『荆楚歳時記』は、長江中流域の湖南・湖北地方の年中行事とその由来を記した民俗資料の古典。6世紀の梁の人宗懍の著に,隋の杜公瞻(とこうせん)が注を付けたもの。
(文・一心)