菊径村(YouTube動画のスクリーンショット)

 菊径村は、中国江西省婺源県大鄣山郷に位置する、山と川に囲まれている小さな丸い村です。村に沿って流れる渓流は半円を描き、その外側を高い山々が取り巻いています。新しくアスファルトで舗装された道も渓流の外側に沿って丸を描き、数本の架け橋で村と繋がっています。菊径村は、背後に山を控えた、いわゆる「後山前水」という八卦に適する地形になっていますが、当地の人々はこの村のことを「洗面桶村」と呼んでいます。

 村の外の山の中腹に立ち、村を俯瞰すると、菊径村の丸い形をもっとはっきりと見渡すことができます。アスファルトが渓流を囲み、渓流は村を囲みます。村にも多くの丸い石畳が互いに交差しています。丸い道路に囲まれた丸い渓流は丸い村を丸く囲み、まさに「中国で一番丸い村」を誕生させたのです。

 史書の記載によれば、宋王朝期の乾道(けんどう)年間、何(か)氏の先祖が菊径村に移住してきました。何氏の一員であった時の南唐の国師、有名な風水師・何溥さんが、菊径村の区画を自ら設計しました。以来、何氏は菊径村で代々繁栄し、やがて何一族は大きな血統を築き、明王朝期に至っては、宰相の何如寵も輩出しました。菊径村には今でも、かなりの人数の何さんが暮らしているそうです。

 そんな菊径村には、何一族にまつわる多くの文物も現存されています。例えば、宋王朝期に建てられた何氏の祠堂と、その中に安置されている、1628年に明の思宗(崇禎帝)が直筆した「黄閣調元」の扁額があります。「宰相の位に就き、天下の政を執る」の意味も含まれて、皇帝の信頼の証なのです。

 時が流れても静かに佇む菊径村の中を歩くと、山と川に沿って林立し、白い壁と黒い瓦、そして「飛檐翹角(ひえんぎょうかく)」を持つ明清王朝期からの徽派建築が、密集して整然と並んでいるのが見えます。小川と路地が交錯する素朴で静謐な村と、その背後の丘の斜面に映し出す紅葉と緑蔭が溶け合い、まるで四季折々の美しさを持つ中国の水墨山水画のような風景なのです。山、木、川、橋、壁、瓦、そして人家の明かり。これらの酔いしれるような自然の風景が織りなしています。外の世界とつながるアスファルトが入っていなければ、静かな菊径村は間違いなく、この世を離れた桃源郷・「世外桃源(せがいとうげん)」になるのでしょう。

低速度撮影で菊径村の景色を鳥瞰する:

(翻訳・常夏)