(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 子供のとき、年配の方がよくオイルランプについて話していたのを覚えている。電気ランプが天井から垂れ下がり、部屋全体を明るく照らす時代になっても、オイルランプが持つ独特の雰囲気は忘れることができないようだった。懐古的な思想の持ち主だった私は、いつかオイルランプを使ってみたいと思った。

 年長者たちは時の流れとともに去っていった。時間があるとき、私はお香を焚き、古典的で素朴な雰囲気で部屋を満たした。夜、散りばめられた宝石のように輝く街の明かりを見て、私はオイルランプがある光景をふと想像した。部屋にオイルランプを置き、その光を家族皆で囲んで読書したり談笑に花を咲かせたりするのは、なんと趣があることなのだろうか。

 そこで私はオンラインショップから蓮の形をしたランプとオイル、芯を買った。オイルをランプに注ぎ、芯をセットすればかわいらしいランプの完成だ。

 その夜、私たちは電気を消し、オイルランプに火を灯した。オイルランプを囲み、昔話や先祖の話、昔の生活や文化について話した。すると、私は面白い現象を発見した。子供たちはテレビがないため、一心に話を傾聴していたのだ。その様子はたいそう可愛いらしかった。一、二時間があっという間に過ぎ、オイルが残り少なくなっていた。昔話もちょうど終わったので、私は子供たちを寝かせた。翌日、子供たちは早起きして、昨日の雰囲気が大好きだと言った。そして、十分に睡眠をとることができたので、精力に溢れていた。そしてこれからも「オイルランプの夕べ」をたくさんやりたいと言った。

 時の移り変わりが激しい今日において、人々はパソコンなしには生きられないし、オイルランプを毎日灯すわけにもいかない。せいぜいできることと言えば、懐旧の念をもって昔の生活を体験し、伝統文化のもつ韻律を味わうことだ。電気を消し、オイルランプのかすんだ明かりを面前にすると、あたかも時空を超えて千古の歴史と相対することができ、自分の内面を見つめなおすことができるかのように感じられた。

 その時、なぜ先人が様々な祝日、記念日を定めたのかが分かったように思えた。それは後世の人々に歴史を忘れないようにするためなのではないだろうか。そして伝統の習俗からから喜びを感じ、真性を取り戻し、敬虔な心境で伝統文化と向き合い、その神髄を体感し、心の底にある真と善を代々受け継いでいくためではないだろうか。

(翻訳・平清竹)