(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 息子は青が好きで、祖母に買ってもらった青い帽子をとても気に入って、出かける度に必ずかぶる。

 帽子をかぶることに問題はないが、時に不要ではないかと思う。たとえば、暖かい室内で汗をかいても帽子を脱がない。抱っこされるときも帽子のつばが、しばしば私のメガネに当たる。何度も脱ぐように言ったが、息子は話を聞かなかった。

 昨日出かけたとき、息子はまたあの帽子をかぶっていた。海辺を歩いたら、2機の飛行機が飛んできて、私たちは皆で見上げた。息子も見上げて音をたどって飛行機を探したが、一所懸命に頭を傾けても彼の目は帽子に覆われているため、飛行機が全然見えなかった。

 「帽子をかぶっていると飛行機が見えないよ」と息子に言った途端、彼は迷わず帽子を脱いで、もう一度見上げて飛行機を探した。この素早い動きを見てつい笑ってしまった。さんざん言っても全然聞かなかったことを思い出したのだ。

 人間は自分の家族や親友を心にかけてしまうものだ。しかし、相手の問題を指摘するときに、聞いてもらえないこともある。一時的に相手との意思疎通が難しくなっても焦る必要なない。

 人間は一人ひとり独立した個体であり、自分の考えを持っているものだ。大切な人のために、まず彼ら個人の選択を尊重するべきではないかと思う。変わるべき時が来たら、彼らは自然に変わるはずだ。私たちにできることは助言だけで、過度な干渉は逆に負担になってしまうかもしれない。

 理由がない好みもあれば、説明できない堅持もある。息子に帽子を脱いでもらえないことのように、弱り果てる困難であっても次の瞬間に解決できた事も少なくない。今までの堅持はただ諦める理由がなかったからだけで、諦めるべき時が至れば、私たちが何しなくても自然に諦めてくれるのだ。

(文・青松 / 翻訳:謝如初)