唐の太宗・李世民(看中国/Vision Times Japan)

 唐の太宗・李世民は、中国の歴史上も数少ない賢明な君主の一人です。政治と軍事における功績のみならず、臣下の意見を広く聞き入れる仁徳の持ち主として名を馳せ、中国史上の「千古一帝」として後世に称賛されてきました。慈悲深い徳政を施行された貞観の治世から、徳政に関する物語が数多く存在し、中には「お正月の死刑囚の仮釈放」の話が最も破天荒で不思議でした。

 貞観六年(632年)のある冬の夜。太宗は上奏を閲覧する時、ある上奏文に目を留めます。その上奏文によると、今年度は約400人の死刑囚が、来年の秋になると死刑執行されます。しかし、多くの死刑囚は連日にわたって泣き止まなかったそうです。その原因を尋ねると、歳をとった親の老後が心配だからとか、自分が一人っ子で、子孫を残していないからなど、心残りがあるからだそうです。どうしても死刑囚たちが泣き止まないので、死刑を来年の秋まで待たず、前もって執行してもいいのかと、刑部の役人が仕方なく上奏し、太宗の意見を尋ねました。

 太宗は、数千年前から伝わってきた秋の処決の制度を易々と変更することは良くないと考え、処刑の前倒しを却下しました。もう少しでお正月なので、太宗はある大胆なアイデアを生み出しました。それは、死刑囚たちを家に帰らせ、家族団らんで最後のお正月を過ごして、心残りを晴らしてもらうということです。

 翌日、太宗は朝廷で、このアイデアを大臣たちに知らせました。大臣たちは驚かない人はいませんでした。中には、死刑囚が戻ってこないのではと心配し、すぐさま反対を申し出る人もいました。しかし太宗は、このアイデアは朝廷の仁徳を示すことができると考え、実行を決め、自ら聖旨を書きました。

 「罪状が極悪で到底許すことができない者たちよ。君たちの中には、まだ自分の家に心残りのある人が多くいると聞いている。今、家に戻り、心残りを晴らすことを許す。ただし、来年の秋には滞りなく監獄に戻るように」

 この聖旨を聞いた死刑囚たちは、驚くあまりに、言葉も出ませんでした。しばらくして、死刑囚たちは次々と涙ながら叩頭し、太宗の仁徳に感謝しました。そして翌年の9月、約束した期限通りに、死刑囚たちは誰一人として欠けることなく監獄に戻ってきました。これを見て、太宗も感動しながら、戻ってきた全員に恩赦令を出しました。

 「不信だと言われる人も、私はまた信用できる人として受け入れる」()と、老子は語りました。太宗が死刑囚たちを釈放したことは、犯罪を放任するような愚かな行為ではなく、民心を得る知恵あふれる善行です。人は皆、尊厳と良心を持っていますので、心の底から感動すれば、どんなに信用できそうにない人も、信用できるようになるということです。

註:中国語原文:不信者吾亦信之。(『老子道徳経・第四十九章』より)

(翻訳・常夏)