明・佚名『江漢攬勝図軸』(武漢市博物館所蔵) — かれたのは明の時代の武漢三鎮、揚子江の左に聳え立つのは黄鶴楼(イメージ:パブリック・ドメイン)

 新型コロナウイルスの発生地として武漢は一躍名が知れ渡り、現在世界中から注目を集めています。そして、「武漢新型コロナウイルス」、「武漢肺炎」、「武漢華南海鮮市場」、「武漢ウイルス研究所のP4実験室」等の、ネガティブな言葉が飛び交っています。

 しかし、3800年の歴史を持つ古い都市として、かつての武漢と言われて、多くの人が先ず思い浮かべるのは、揚子江の傍に聳え立つ黄鶴楼ではないでしょうか?

 黄鶴楼の歴史は、223年、三国時代の呉の孫権が作った軍事用の物見櫓に遡ります。その後、黄鶴楼は歴代に於いて旧跡で建て直され、中国の「名楼」として受け継がれてきました。歴史上の多くの詩人が武漢を遊歴し、黄鶴楼に登り、黄鶴楼を詠う詩を数多く残しています。その中でも、李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」という詩は、日本の学校の教科書に登場するほど有名です。

一、黄鶴楼は伝説の聖地であった

 中国の伝統文化の中で儒、仏、道三家の思想は互いに照り映し、道を修めて仙人になる伝説が多くの文献に記されていました。黄鶴楼は長い間、歴代の文人墨客の憧れの的になったのは、その美しい景色だけではなく、仙人が天に昇る聖地としても彼らを魅了したからでしょう。

 唐の詩人・崔顥(さい こう ? – 754年)は「仙人はすでに黄鶴に乗って去っており この地には黄鶴楼がむなしく残っている」と詠い、陸游(りく ゆう 1125-1210年 南宋の政治家・詩人)は『入蜀記』卷五にて、「黄鶴楼の古くからの言い伝えには、『費禕(※1)がここから天に昇り、その後、急に黄色い鶴に乗って帰ってきた、そのことから楼に名前をつけた』とある」と書いています。

 また『南斉書‧志第七 -州郡下』(中国の二十四史の一つ 南斉の正史)によると、仙人子安は黄色い鶴に乗って黄鶴楼の上空を通過し、また、道藏(※2)『歴世真仙体道通鑑』には、呂洞賓(※3)が「黄鶴楼に上り、五月二十日午の刻を以て昇天した」との記載もあります。

 黄鶴楼は人々の心の中で、生命が昇華する神聖な場所だったのです。

崔顥の詩『黄鶴楼』(イメージ:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン)

二、黄鶴楼の名前にまつわる伝説 

 黄鶴楼についてこのような伝承が残っています。

 昔、辛氏という人の酒屋がありました。そこに貧しげな格好をした仙人子安がやってきて、酒を飲ませて欲しいと言いました。辛氏は嫌な顔一つせず、ただで酒を飲ませ、それが半年くらい続きました。ある日、子安は辛氏に、「酒代が溜まっているが、払う金がない」と言い、代わりに店の壁にみかんの皮で黄色い鶴を描き、「拍手すれば、鶴が下りて舞うから」と言い残し、去って行きました。その後、店にやってきた客が手拍子を打ち歌うと、それに合わせて壁の鶴が舞い上がりました。そのことが評判となって店が繁盛し、辛氏は巨万の富を築いたのでした。
その10年後、再び店に子安が現れ、辛氏は「謝礼をお渡ししたい」と言いましたが、子安は「吾は人間の金銭をいただくわけがない」と言い、笛を吹くと黄色い鶴が壁を抜け出して来ました。子安はその鶴の背にまたがり、白雲に乗って飛び去って行きました。

 辛氏はこれを記念して楼閣を築き、黄鶴楼と名付けたと言います。

 黄鶴楼は「徳を積み、善を行い、善には報いがある」という道理を示してくれる、心安らぐ場所でした。

1870年代の黄鶴楼(イメージ:パブリック・ドメイン)

三、黄鶴は飛び去ったきり戻って来ない

 「黄鶴は一度飛び去ったきり戻ってこず 白い雲だけが千年前と変わらず、ゆったりと漂っている」と崔顥は謳いました。

 長い歴史の中で、黄鶴楼は焼失と再建が繰り返され、明、清時代だけでも、7回焼かれ、建て直しと修繕が10数回も行われました。しかし、現在の黄鶴楼は1985年に清の設計を元に復元したもので、旧跡より1000メートルも移動されたため、黄鶴楼から一望できる風景も、昔とすっかり変わっています。

 黄鶴楼は中国の歴史の変遷を見て来ており、更にこの度の新型コロナウイルスが猛威を振るう武漢の惨状も、しかと見届けています。

 今の中国は伝統文化が破壊され、共産党政権の下で、無神論や進化論が横行し、科学のみを信じる人々は道徳心や謙虚心を失い、野生動物の乱獲や、人から人への感染の危険性が高いウイルスの研究など、欲望を抑制することなく、危険なことに次々と手を出しています。また、今回の疫病発生当初、中国政府は初動対策に失敗し、真実を覆い隠し、情報を隠蔽、操作したこともあって、新型ウイルス感染は世界的な大流行と言う最悪の結果を招き、世界中の多くの貴重な命を奪いました。その重い罪は一体どう償うのでしょうか。

 いつか、武漢のマイナスイメージが払拭され、中国に古き良き時代が戻り、純朴な民風と天を敬い、神を信じる伝統文化が復興されることを願うばかりです。

(※1)費禕(ひ い ? – 253年)後漢末期から三国時代の蜀漢にかけての政治家・武将
(※2) 仏教の大蔵経にならって道教の経典を集大成したもの
(※3)中国の代表的な仙人である八仙の一人

(文・一心)