ロシアのペスト研究所で働く若い女性研究員が、突然、肺炎で亡くなりました。彼女と接触した可能性のある約200人が隔離されましたが、この出来事が公表されたのは、死亡から5日後のことでした。彼女はいったい何が原因で亡くなったのでしょうか。ロシア当局は今も明確な答えを示していません。しかし、ロシア周辺の国や地域では、国境や空港などでの検疫を次々と強化しています。

 10月2日、ロシア・シベリアのイルクーツク州で、28歳の女性研究員ダリア・シピロワさんが肺炎で亡くなりました。彼女は現地の「シベリア・極東ペスト予防研究所」に勤務していました。正式な死因は現在も明らかになっておらず、「肺ペストに感染していたのではないか」という憶測が広がっています。

 中国の新浪ニュースが科学誌『ネイチャー』の報道を引用して伝えたところによると、研究所の職員約200人が亡くなった女性と接触した可能性があり、隔離されました。しかし、ロシア側がこの件を公表したのは、彼女の死亡から5日後の10月7日でした。ロシアの公衆衛生当局は、研究所で「緊急事態」は発生していないと強調し、死因については原因不明の肺炎だと説明しています。

 ネット上では、彼女が9月25日に作業中、ペスト菌の入った試験管を割ってしまい、その後入院したものの、当初は新型コロナウイルス感染症と誤診されたという噂が流れています。ただし、ロイター通信は、この噂を裏付ける公的な証拠は現時点でないと指摘しています。

 ロシア側は、感染の疑いを否定する説明に終始しています。10月7日までに、ロシアは世界保健機関(WHO)に正式に回答し、イルクーツク州では最近、ペストの感染例は報告されていないと説明しました。また、亡くなった女性との接触者はすでに特定され、検査でも危険性の高い病原体は検出されず、健康観察も終了したとしています。

 これを聞けば、ひとまず安心できそうです。しかし、ここには見逃せない点があります。ロイター通信は、「ペストの感染例が報告されていない」ことと、「信頼できる検査によって、亡くなった女性のペスト感染が否定された」ことは、医学的には必ずしも同じ意味ではないと指摘しています。

 科学誌『ネイチャー』の取材によると、感染症の安全管理に詳しい専門家たちが本当に懸念しているのは、この出来事について十分な情報が公開されていないことです。

 ペストは、ペスト菌(Yersinia pestis)によって引き起こされる、人間と動物の両方に感染する病気です。この菌は通常、一部の小型哺乳類や、それらに寄生するノミの間で維持されています。人間は、感染したノミに刺されたり、感染した動物の体の組織に触れたりすることで感染する場合があります。また、肺ペストの患者が呼吸などによって空気中に放出した、病原体を含む細かな粒子を吸い込むことでも感染します。

 WHOによると、肺ペストはペストの中でも特に重い症状を引き起こすタイプで、適切な治療を受けなければ、急速に悪化するおそれがあります。ただし、早期に診断し、適切な抗生物質を使用すれば、回復の可能性は大きく高まります。ペストに感染しているかどうかは、検査によって確認する必要があり、肺炎の症状や患者の職業だけで判断することはできません。

 つまり、最大の疑問は今も残っています。なぜ、この女性は重い肺炎で亡くなったのでしょうか。これまでに行われた検査で、その原因を十分に説明できるのでしょうか。

 ロシア側は、接触者の検査で危険性の高い病原体は検出されなかったと説明しており、WHOも感染が広がり続けている証拠は確認していません。しかし、女性の正確な死因が不明である以上、事件の全容はまだ明らかになっていません。

 こうした情報不足が、周辺の国や地域が警戒を強める原因となっています。ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタンは、隔離などの感染防止対策や検査を強化しました。モンゴル政府も、ロシアとの国境で健康状態の監視を実施するよう命じました。

 香港の衛生防護センターは10月12日、すでにWHOとロシアの衛生当局に対し、関連情報の提供を求めており、対象となる渡航者や感染が疑われる患者への監視を強化したと発表しました。

 香港の対策は、大きく4つあります。

 1つ目は、空港での健康チェックの強化です。ロシアから香港に到着する旅客に対し、担当職員が到着便のゲートで体温を測定し、症状がある人には、さらに詳しい健康状態の確認を行います。

 2つ目は、渡航歴の申告を呼びかけることです。空港の入国エリアに案内を掲示し、音声でも呼びかけるほか、航空会社を通じて、過去14日以内にイルクーツク州を訪れた旅客に対し、香港到着時に衛生当局の職員へ自主的に申告するよう求めています。

 3つ目は、肺炎の症状がある旅客への対応です。健康状態を確認したうえで、必要と判断された場合は、直ちに公立病院へ移し、詳しい検査を行います。

 4つ目は、空港や航空会社との連携強化です。航空会社に対し、乗務員への注意喚起を求め、乗客に発熱などの症状が見られた場合には、定められた感染防止対策を徹底するよう求めています。

 さらに、香港の衛生防護センターは、香港全域の医師にも通知を出す予定です。発症前14日以内にイルクーツク州を訪れた人が、原因不明の肺炎を発症した場合、医師は直ちに報告し、詳しい検査を手配しなければなりません。

 センターは旅行者に対しても、香港に戻った後にせきなどの呼吸器症状が現れた場合は、マスクを着用し、速やかに医療機関を受診して、医師に渡航歴を伝えるよう呼びかけています。一方、ここ数か月、ロシアから香港に到着した人について、原因不明の肺炎の報告は受けていないとも説明しています。

 香港だけでなく、中国本土でも動きが出ています。中でも注目されるのが、内モンゴル自治区です。

 内モンゴル自治区フルンボイル市の感染症対策当局は10月10日、ペストの感染リスクに関する注意喚起を発表しました。この地域は、歴史的に野生動物の間でペスト菌が存在してきた地域であり、ロシア極東地域にも隣接しています。国境を越えた人の往来が頻繁なことから、感染防止対策を強化する必要があるとしています。

 この注意喚起によると、フルンボイル市では1927年以降、人間のペスト感染例は確認されていません。近年の定期的な監視でも、ネズミなどの動物の間でペストが流行している兆候は見つかっていませんが、それでも住民に予防対策を呼びかけています。

 湖南省や広東省の感染症対策当局も、10月9日前後に警戒情報を発表しました。また、メディアの報道によると、ロシア在住の中国人の間ではマスクを買いだめする動きが見られ、いったん中国へ帰国して様子を見る人もいるということです。

 現在も、いくつかの疑問が解決されていません。

 第一に、女性の命を奪った病原体は何だったのでしょうか。ロシア当局は、まだ明らかにしていません。

 第二に、ロシア側が説明する「検査で陰性だった」という結果には、亡くなった女性本人に対するペスト菌の検査も含まれているのでしょうか。公開された情報だけでは分かりません。

 第三に、今回の出来事の約5週間前、中国とロシアは黒竜江省撫遠(ぶえん)市で、「2026年中ロ国境を越える感染症への合同緊急対応訓練」を実施していました。この訓練には、国外からのペスト流入を想定した項目も含まれていました。

 この訓練と今回の出来事に関連があるという証拠は、現時点ではありません。しかし、時期が近かったことから、多くの人々の関心と不安を呼んでいます。

 公表されていない検査報告、はっきりしない死因、そして次々と警戒が強化される国境。

 多くの人が知りたいのは、ただ一つです。

 9月末、イルクーツクのあの研究所で、いったい何が起きたのでしょうか。

(翻訳・藍彧)