平潟落雁(ひらかたのらくがん) 跡とむる 真砂に文字の 数そへて 塩の干潟に 落る雁かね (Utagawa Hiroshige, Public domain, via Wikimedia Commons)

 日本には「八景」と名のつく景勝地が多くあります。調査によると、日本全国には、800以上の「八景」が存在し、約700年の歴史があるとされています。

 日本の「八景」のモデルとされているが中国の「瀟湘八景」です。

 「瀟湘八景」は、中国湖南省洞庭湖周辺の八つの風景を指しています。北宋時代(11世紀)に活躍した画家・宋廸(そうよう)が、それを画題として描き、四季や朝暮に変化する自然の風景を、「瀟湘夜雨」、「平沙落雁 」、「煙寺晩鐘 」、「山市晴嵐」、「江天暮雪 」、「漁村夕照」、 「洞庭秋月 」、「遠浦帰帆 」 という八景に凝縮しました。

 古くから「瀟湘八景」は画題として好まれ、流行し、その影響はやがて日本にまで及びました。

一、「金沢八景」を命名した明の僧侶 東皐心越(とうこうしんえつ)

 「金沢八景」は、金沢の八つの勝景をあてはめたものです。

 「金沢八景」を命名したのは、中国明代の僧、東皐心越(1639〜1696)だと言われています。                               

 1676年、心越禅師は清の圧政から逃れるため、杭州の西湖にあった永福寺から、日本に亡命しました。来日した後、心越は徳川光圀に招かれ、水戸祇園寺を開山し、独特な禅風を築きました。また心越は七弦琴、篆刻、目薬なども日本に伝え、日本の琴楽の中興の祖、日本篆刻(てんこく)の祖とされています。
 元禄七年(1694)、心越は金沢を訪れました。

 小高い山頂に建つ地蔵院・能見堂から眺望した金沢の美しさに感激した彼は、「瀟湘八景」になぞらえて、八編の漢詩に詠みました。この詩が後に「金沢八景」という呼称が生まれるきっかけとなったそうです。

 八編の漢詩は、「洲崎晴嵐」、「瀬戸秋月」、「小泉夜雨」、「乙艫帰帆」、「称名晩鐘」、「平潟落雁」、「内川暮雪」、「野島夕照」となっており、いずれも上の二字は金沢の土地から、下の二字は「瀟湘八景」から取られています。

 心越の漢詩によって「金沢八景」の名は高まり、多くの文人がこの地を訪れるようになり、庶民の観光も盛んになったそうです。

 そして、歌川広重が描いた「武州金沢八景」の絵画は、「金沢八景」をより世に広めたのです。

二、歌川広重が描いた「金沢八景」

 歌川広重(1797〜1858)が「金沢八景」を描いたのは江戸後期の天保年間とされています。海、山、島が織りなす美しい景観を、精緻な筆致で情感豊かに描き、金沢の当時の美しい姿を見事に創り出しているこの作品は、古き良き金沢の風景を思い浮かべさせてくれます。

 以下は、歌川広重が描いた「武州金沢八景」となります。絵の中には京極高門(1658-1721)による和歌が刻まれています。

小泉夜雨(こずみのやう)
かぢまくら とまもる雨も 袖かけて 涙ふる   江の むかしをぞ思ふ
(Utagawa Hiroshige, Public domain, via Wikimedia Commons)
称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)
はる   けしな 山の名におふ かね沢の 霧よりもるゝ 入あひの声    
(Utagawa Hiroshige, Public domain, via Wikimedia Commons)
乙艫帰帆 (おっとものきはん)
沖津舟 ほのかに見しも とる梶の 乙艫の浦に かへる夕波
(Utagawa Hiroshige, Public domain, via Wikimedia Commons)
洲崎晴嵐(すさきのせいらん)
賑へる 洲崎の里の 朝けぶり 晴るる嵐に たてる市人 
(Utagawa Hiroshige, Public domain, via Wikimedia Commons)
瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)
よるなみの 瀬戸の秋風 小夜ふけて 千里の沖に すめる月かげ
(Utagawa Hiroshige, Public domain, via Wikimedia Commons)
平潟落雁(ひらかたのらくがん)
跡とむる 真砂に文字の 数そへて 塩の干潟に 落る雁かね
(Utagawa Hiroshige, Public domain, via Wikimedia Commons)
野島夕照(のじまのせきしょう)
夕日さす 野島の浦に ほす網の めならぶ里の あまの家々
(Utagawa Hiroshige, Public domain, via Wikimedia Commons)
内川暮雪(うちかわのぼせつ)
木陰なく 松にむもれて 暮るるとも いざしら雪の みなと江のそら
(Utagawa Hiroshige, Public domain, via Wikimedia Commons)

 現在は、埋め立てが進み、建築物が立ち並び、金沢の当時の景色は見られなくなりましたが、先人たちが残してくれた詩や絵のおかげで、金沢八景の当時の美しい姿は今も伝わっています。

 ちなみに、日本各地には、「八景」が多く存在しているだけではなく、それが風景評価法の一つとして、都市計画にも応用されており、その人気度や知名度は、中国を上回るとさえ言われています。

参考文献:日本における「八景」について〜景物の歴史的変遷を中心に〜 石立裕子

「能見堂八景詩」に興味のある方は次のページをクリックしてください:

https://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/hakkeisi.html

(文・一心)