孔子(紀元前552年10月9日―紀元前479年3月9日)(看中国/Vision Times Japan)

 人が正しいか間違っているかを論争する時、目先の考え「小理」だけにとらわれてしまうと、自分の感情をコントロールすることは難しく、本当の正しい道「大道」を忘れ、理性的に対処できないことが多々あります。
 古書によれば、孔子の弟子の一人である顔回(顔淵)は「怒りに任せて八つ当たりをせず、過ちを二度と繰り返さず」ができたといいます。ひょっとすると現代人にとってこの事を実行できる人は多くないかもしれません。そして、顔回がそのような境地に到ったのは、孔子の教えが大きく関係しています。
 生活の中の「小理」と「大道」の間で、孔子はいかにして顔回に道(どう)を悟らせたのでしょうか?今回は、師弟間の興味深く感動的な物語をお話しします。
 
 ある日、顔回が用事で表通りへ行くと、ある布屋の前に人だかりができているのが見えました。そして布地を買おうとしている男が大騒ぎしているのが聞こえました。
 「三八(3×8)は二十三だろ。どうして二十四銭要求するんだ?」
 顔回は布地を買う男に歩み寄り、一礼して「こちらのお兄さん、三八は二十四ですよ。どうして二十三になるんですか?あなたは勘違いしています。言い争いをやめましょう」と言いました。
 ところが、布地を買う男はひるむことなく、顔回のことも知らなかったので、顔回の鼻先を指差して大声で罵り、しまいには「白黒をはっきりつけようや!孔子様に会って決めていただこうじゃないか」と言いました。
 それを聞いた顔回は、自分の頭に被っていた冠を取って相手と賭けることにしました。するとその男は自分の頭を賭けました。

 二人は孔子に会いに行き、事情を説明しました。意外にも、孔子は顔回に微笑みながら言いました。
 「三八は二十三ですよ!顔回、君の負けなのだから、冠を取って彼に渡しなさい!」
 顔回は孔子と口論をすることがないので、孔子に「間違っている」と判断されると、おとなしく冠を取ってその男に渡しました。男は冠を受け取ると、たいそう得意げに立ち去りました。
 その場で口論をすることがなくても、顔回は孔子の判断に納得が行きませんでした。孔子のことを「もうろくした年寄り」だと思い、もう孔子に道を求めることはできないと思いました。

 翌日、顔回は「家に用事があるのでお暇をいただきます」と口実をつけて、家に帰ろうとしました。
 くもりのない鏡のような心をもつ孔子は、顔回の思惑を追求することなく、ただ頷いて帰宅を許しました。
 出発前に顔回は孔子に別れを告げると、孔子は「用事を終えたらすぐに帰って来なさい」と言いました。さらに「樹齢千年の木に身を寄せないこと。無闇に人を殺してはならないこと」という二言を顔回に言い聞かせました。
 顔回は「覚えておきます」と答え、家路に向かいました。

 道中、急な風と黒雲が出始め、雷鳴と稲光りがして、今にも大雨が降り出しそうな気配でした。顔回は道端の大きな木の空洞に入って雨宿りしようと思いました。すると突然「樹齢千年の木に身を寄せないこと」という孔子の言葉を思い出しました。
 「師と弟子なのだから、もう一度師の言った通りにしよう!」と思い、空洞になった大木の幹から離れました。するとまもなく、雷がその大木を粉々に打ち砕きました。
 顔回は非常に驚き「師の一つ目の言葉が現実になった!でもまさか、今度は僕が人を殺すことになるのだろうか?」と、孔子の言葉をふと思い出しました。

 家路を急ぐ顔回。家に着いたのはすでに深夜でした。彼は家族が寝ているのを邪魔したくないと思い、腰に携帯していた剣で妻の寝ている部屋のドアの鍵をそっとこじ開けました。顔回が寝台に触れてみると、なんと、寝台の両側にそれぞれ一人が寝ている!
 悪人がいたかと思う顔回は怒り心頭になり、まさに剣を振り上げ、斬りつけようとした時、「無闇に人を殺してはならないこと」という孔子の二つ目の言葉を思い出しました。すると彼は剣を下ろし、灯りをともして見てみると、寝台に寝ているのは妻と自分の妹でした。

 夜が明けると、顔回は即刻孔子のところへ引き返し、孔子に会うとすぐに跪いて言いました。「先生よ!先生の二つのお言葉で、私と妻と私の妹の三人の命が救われました!先生はどうして最初からこのようなことが起きるとお分かりになったのでしょうか?」
 孔子は顔回を起こすと「昨日は乾燥した暑さだったので、雷雨になると思い、『樹齢千年の木に身を寄せないこと』と警告しました。そして、あなたは心に憤りを帯びていた上、立派な剣を携えていたので『無闇に人を殺してはならないこと』と警告したのです」と言いました。
 顔回は頭を下げて、「先生のお見通しは的確でした。お見それ致しました!」と言いました。
 孔子は顔回にさらにこう言いました。
 「あなたが暇を申し出たのは、私が老人ボケしており、もうこれ以上私から学びたくないと思ったからでしょう。考えてもごらんなさい。私が『三八は二十三が正しい』と言ったのは、あなたがその賭けに負ければ冠を失うに過ぎません。しかし、向こうが負けたとしたら、失うのはあの人の命です!冠と命、どちらが大事だと思いますか?」
 顔回はハッと悟り、ガックリと孔子の前に膝を突いて、「先生は目先の小さな是非よりも、人としての道義を重視される方なのです。私は先生のことをご高齢によって頭がはっきりされなくなったのだと思っていました!私は本当に浅はかでした」と言いました。
 この一件の後、顔回はさらに謙虚な心で孔子から道を学びました。孔子がどこへ行こうと、顔回は二度と離れることはありませんでした。
 
 この話からわかることは、人は決して「角(つの)を矯(た)めて牛を殺す」ことをしてはならないということです。なぜなら、見たり感じたりしたことや知識の範囲内で一旦ある理を断言してしまうと、感情をコントロールすることが難しくなり、善悪、悲しみや喜び、論争や不満など、様々な感情的思考が次々と出て、理性を保つことができなくなってしまいます。これによって、本当の善悪を見極めることがより難しくなれば、結果的に間違いを重ねてしまいかねないのです。
 孔子は、初めから直接顔回に道理を説くことはありませんでした。顔回は「師の言葉に従い負けを認める」という「小理」を理解できていたとはいえ、その中のさらなる深い内包をまだ悟っていなかったので、孔子はただ穏やかに、家路に向かう途中で起こりえることを正確に予測して、顔回に注意を与えただけでした。顔回は師の話を聞き、試練を経験したことによって、やっと「小理」以上の「大道」を内心から理解できるようになりました。
 孔子は「大道」の体現について身をもって手本を示したわけです。それは慈悲深く玄妙で、危険から無事に乗り越えることができるだけでなく、命さえも救える「大道」でした。この一件で、顔回は感情的な「小理」を手放し、真に「大道」を理解し始めましたので、当然ながら、顔回は孔子と孔子が伝授した「大道」からもう二度と離れることはありませんでした。
 牛の曲がった角をまっすぐに直そうとして、牛を死なせてしまうことはやめましょう。目先の考え「小理」より、本当の正しい道「大道」を守り、常に理性的にいることが大切なのではないでしょうか。

(文・源馨/翻訳・夜香木)