アメリカ、サンディエゴ動物園のパンダ、ガオガオ(Aaron Logan, CC BY 1.0, via Wikimedia Commons)

 ジャイアントパンダは中国四川省のごく一部の地域に生息し、新鮮な竹しか食べないとても稀少な動物です。白黒の体色に手足が短く、クタクタとして愛嬌たっぷりのパンダは、しばしば中国から諸外国に贈られ、友好の使者という重い責任を委ねられてきました。

 海外に送られたパンダたちは、そののんびり屋な性格と愛くるしい姿で人気を博し、どこの国に行っても国賓のように扱われ、パンダフィーバーを巻き起こしました。パンダを見て、不眠症が改善したり、鬱の人は症状が和らいだり、妊娠中の不安が和らいだりしたといった話も耳にするほど、パンダは人々の心を癒してくれています。

 特に子供達に人気が高く、地元経済の活性化にも寄与し、友好の使者としての役割をしっかり果たしているはずのパンダですが、最近、相次いで中国へ返還される事態が起きています。その裏では一体何が起きているのでしょうか。

一、世界中で起きたパンダ返還ラッシュ

 2023年2月21日、上野動物園の5歳のジャイアントパンダ、シャンシャン(香香)が専用機に乗せられ、大勢のシャンシャンファンに見送られる中、故郷の中国四川省へと飛び立ちました。上野動物園で生まれ育ったシャンシャンが中国に返還されたのです。                          

赤ちゃんシャンシャンとママのシンシン(動画のスクリーンショット)

 その翌日の2月22日、和歌山県のアドベンチャーワールドのパンダ永明(30歳・父親)と8歳の双子のパンダ・桜浜、桃浜(共に男の子)も中国へ飛び立ちました。永明は来日してから28年、その間、16頭ものパンダを誕生させたビッグダディで、パンダの繁殖に大いに貢献をした功労者です。

 そして、2023年の12月末には、神戸王子動物園のタンタン(旦旦、28歳)も返還される予定となっています。

 パンダとの別れは実に寂しいことで、多くの人々がその別れを惜しみました。

 アメリカでも、近年、パンダの中国への返還が相次いでいます。2023年11月9日、アメリカから、25歳と26歳のパンダ夫婦とその3歳の子供パンダが、パンダ塗装がされた専用機に乗せられ、中国に返還されました。現在、アトランタ動物園の4頭のパンダも来年中国に返還される予定となっており、新しいパンダが来なければ、アメリカにはパンダがいなくなることになりますが、これはこの50年で初めての状況になります。

 また、イギリスも2023年12月に、12年も暮らしていた2頭のパンダを中国に返還する予定となっているとのことです。 

 相次いでのパンダ返還の裏には一体何があったのでしょうか。それを理解するには、中国政府の「パンダ外交」の歴史から知る必要があります。

二、中共のパンダ外交の変遷

1)寄贈期

 1949年、中国共産党が中国で政権を握ると、毛沢東が共産主義の同盟国であるソ連と北朝鮮にそれぞれ2頭のパンダを贈呈し、パンダ外交を行いました。

 1972年、ニクソン米大統領は電撃訪中を果たし、米中は国交を樹立しました。西側との和解のシンボルとして、同年、中共政府はワシントンDCの国立動物園にパンダ2頭を贈りました。同じ年に、日中国交正常化を受け、日本にも初めてパンダのカンカン(康康)とランラン(蘭蘭)が贈られました。東京の上野動物園にパンダがやって来たことで、日本中から大勢の観光客が押し寄せ、空前のパンダブームが巻き起こりました。

 その後、10年以上にわたり、中共政府は英、仏、独、スペイン、メキシコなどに10数頭のパンダを寄贈しました。

2)レンタル期

 1981年、中国は絶滅の恐れがある野生動植物を保護するための「ワシントン条約」に加盟しました。それを機に、希少動物を他国に寄贈することができなくなり、パンダの送り出しは「長期間の合同科学研究プロジェクト」という名目で、「長期レンタル」という形に変わりました。

 そのレンタル料は、パンダ1頭につき、年間100万ドル(現在の為替では約1億5000万円)、レンタル期間は10年で、パンダの赤ちゃんが生まれた場合も、その所有権は中国にあり、3年以内に中国に返還しなければならず、そのレンタル料は60万ドルになっています。レンタル料の使い道としては、60%が野生パンダの保護費に、40%がパンダの人工飼育の研究費に使用されていると説明されています。

 パンダは贈呈の形式から「合同科学研究プロジェクト」の一環として海外に送られるようになりましたが、その遣り取りには善意だけで片付けられない政治的、外交的な背景も存在していることを忘れてはいけません。

3)中共のソフトパワー

 中共政府はしばしばパンダの貸し出しや返還時期等を利用して、中共が抱える人権問題や領土問題などを非難する外国政府に揺さぶりをかけてきました。

 2005年、中共政府は台湾にパンダ2頭を贈呈すると発表しました。国際取引が禁止され、本来パンダの贈呈はできないはずですが、「台湾は自国の一部」であり、台湾にパンダを贈ることはあくまでも「国内移動だ」と、中共政府は主張したのです。

 中共に警戒心の強い当時の陳水扁総統は、中共の「策略」に反発し、パンダの受け入れを拒否しました。ところが、2008年の総統選挙で国民党の馬英九が当選すると、パンダの贈呈を受け入れる方針に転換し、その後、2頭のパンダが台湾にやって来ました。「台湾は中華人民共和国の一部だ」という中共の政治的な意味合いを事実上認めたような形となりました。

 1990年代以降、天安門事件や法輪功弾圧の記憶を払拭するため、また、WTO加盟を申請するため、中共は再びパンダ外交を積極的に行いました。その際、最大の受益国となったのはアメリカで、当時、アメリカ国内の4つの動物園に計9頭のパンダを迎え入れました。

 パンダはまた、技術や資源、貿易などの交換条件としても利用されました。

 2011年、スコットランドがサーモンと石油化学及び再生可能エネルギーの技術等を中国に供給することに合意すると、その引き換えにパンダを貸与されました。

 他にも、オーストラリアとカナダが中国に核技術と酸化ウランの供与に合意した時も、直ちにパンダを受け取りました。

 もちろん、パンダ外交には飴だけではなく、鞭も用意されています。

 2010年、中共は当時のオバマ米大統領に対して、「チベットの仏教最高指導者であるダライ・ラマと会談するな」と警告した2日後に、米国内で生まれた子パンダを帰国させる命令を出したのです。

三、「戦狼外交」とその行方……

 パンダは何も知らないまま政治に利用されています。

 特に習近平政権になってから、強い経済力を背景に、中共はより傲慢かつ横柄になり、外国に貸し出されたパンダを撤退させるという厳しい「カード」を容赦なく出してきました。

 米中関係が悪化する中、近年、アメリカのパンダ返還が相次いでおり、貸し出し期限を迎えたパンダの契約更新が拒否され、また、日中関係も冷え込む中、パンダが新たに貸与されないなど、政治の影響も受けているようです。

 「戦狼外交」は、中国共産党の世界を支配しようとする野心をより明確に世界に示してきたため、ピュー・リサーチ・センターが、令和5年7月に発表した報告書により、17の先進国と地域で中国に対する好感度が歴史的な低水準にあるということが分かりました。また、コロナ禍の影響により来園客が激減し、経営難に苦しむ動物園の事情もあり、世界各国は加熱したパンダブームをより冷静に見るようになりました。

 中共の「パンダ外交」は遂に終焉を迎えようとしています。

 2023年11月、習近平はアメリカで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)に参加した際、米中関係の緊張緩和を念頭において、「パンダは米中両国民の友好使者であり、中国はパンダの保護について米国と協力し続けたい」との発言をし、アメリカに再びパンダ数頭を送る可能性があることをほのめかしました。

 この先、米中両国はパンダの貸与について交渉を行うかもしれませんが、パンダを利用して、中共政権の行った悪事を忘れさせるような手口では、もう世界の人々を騙すことはできないでしょう。

 ちなみに、パンダの中国語の呼称は「熊猫(XiongMao)」となります。クマ科の動物であるパンダの本来の名は「猫熊(MaoXiong)」だったそうですが、間違えられて「熊猫」となったまま、現在に至っています。パンダはまさしく「猫をかぶった熊」なのです。

 パンダの繁殖、飼育の最終目標は、パンダ達を野生に返すことです。それはパンダたちが本当に望んでいることではないでしょうか。

(文・一心)