観音猿鶴図(パブリック・ドメイン)

一、国宝「観音猿鶴図」

 京都の大徳寺には、日本の国宝「観音猿鶴図」が所蔵されています。
 「観音猿鶴図」は、中央に白衣を身に着けて岩上に坐す観音と、その左右に、嘴を開いて鳴く1羽の鶴、松の上の親子猿を描いた3幅の絵が一作品となった三幅対の水墨画です。
 「観音猿鶴図」は中国南宋時代(13世紀)の絵画で、作者は牧谿(もっけい)という臨済宗の画僧です。牧谿は人物、山水、花鳥など多彩なジャンルを描き、日本では中国画家の最高峰として高い評価を得てきました。 

 「観音猿鶴図」は、墨の濃淡やぼかしで靄や大気の動き、光の明暗を巧みに表現し、並外れた表現力と技量を存分に発揮した牧谿の最高作とされています。
 この作品は、もともと室町幕府の3代将軍の足利義満が収集したもので、その後、京都大徳寺に寄進されたと言います。当時、「観音猿鶴図」は「東洋一の名画」と称賛され、日本の多くの絵師の画の手本となり、それを模した作品も多く描かれるようになりました。
 そして、1951年(昭和26年)6月に国宝に指定されました。

二、牧谿とその水墨画

 牧谿(生没年不詳)は、13世紀後半、中国南宋末元初の僧侶です。牧谿は禅宗の高僧である無準師範(注1)の門下に入り、その後、西湖の畔に臨む六通寺(現在は廃寺)に住み、活動していたと伝えられています。
 牧谿の作品は鎌倉時代末から多く日本に伝来しました。それは禅宗の日本伝来を背景にした禅宗寺院の交流が頻繁になったことが理由と考えられています。14世紀中頃、牧谿の水墨画は日本で極めて高い人気を博し、当時の文献でただ「和尚」と言えば、牧谿のことを指すほど親しまれ、日本の水墨画壇に多大な影響を及ぼしました。
 足利義政のコレクションである「東山御物」(注1)に保有された中国絵画279幅のうち、103幅が牧谿のものだったそうです。
 
 牧谿の絵画は日本で高く評価されていたのに対し、本家の中国ではあまり評価されなかったと言います。
 牧谿は生前、画家として江南山水画の主流に位置づけられていたものの、死後次第に忘れられ、元、明の時代になると、「粗雑で古法を踏まず、優雅さや深みを欠く」等の悪評もありました。
 というのも、牧谿の絵は禅画の範疇に入り、表現における写実に捉われないため、当時流行していた「文人画」と呼ばれるものとは異なっていたからです。
 禅画は、禅の精神や悟りの境地といった心の世界を絵筆に託して表し、人生の真の意味を理解することを目的とするものです。
 筆致がシンプルで、一見地味に見える牧谿の水墨画は、そこに隠れている禅の思想が日本人の心を掴み、日本人の美意識を喚起し、特に南中国の湿り気を漂わせる雰囲気が日本人に好まれたのでしょう。 

漁村夕照図(国宝 根津美術館蔵)

 牧谿の代表作には、「観音猿鶴図」の他、「竜虎図」、「芙蓉図」、「栗図・柿図」、「羅漢図」、「竹雀」、「瀟湘八景図巻」等がありますが、そのほとんどは日本にあり、多くは国宝、重要文化財に指定されています。
 それに対し、中国や台湾、欧米にも牧谿の絵はほとんど存在していません。
 
 意外にも遠い日本で多くの知音を得られるとは、牧谿本人も想像していなかったことでしょう。
 
 注(1)  中国の南宋の臨済宗の僧。円爾をはじめとして日本から無準に参じた僧は多い。日本禅林との関係は最も深く、最も強い影響を与えている。
 注(2) 室町幕府3代将軍足利義満や6代の義教らが収集した唐物のコレクションは、それを継承した8代の義政の東山山荘に因み「東山御物」と呼ばれている。

(文・一心)