「錦」は中国の伝統的な織物の一つで、2006年5月20日、蜀錦織りの技術は、中国国務院によって、中国最初の国家級無形文化遺産リストへの登録が承認されました。(國立故宮博物院・台北、パブリック・ドメイン)

 「錦」は中国の伝統的な織物の一つで、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)に捻りをかけず、あるいは弱く捻りをかけて織り成す、様々な色柄を持つ先染めの織物です。

 「錦」は中国発祥で、三千年以上の歴史があります。中国古代の歴史書『尚書・禹貢』には「厥篚織貝①」の記載があります。ここでの「貝」は「錦」の一種で、あらかじめ染めあがった絹を貝の色や模様に倣って織られた「錦」の名称です。その後「錦」は美しい風景や物を表す言葉としても使われ、「錦上に花を添える」ことから「錦上添花(きんじょうてんか)」や「咲き乱れる花が錦のように美しい」ことから「繁花似錦(はんかしきん)」のような慣用句が生まれました。

 「錦」は、製造工程がとても複雑で精巧なため、古代中国のあらゆる織物の中で最も価値のあるものとされてきました。よく見ると「錦」という文字は「釒(かねへん)」に「帛(はく)」と書きます。「金帛」が黄金と同じくらい価値があった事から「一寸の錦は一寸の金」という諺になりました。当時の「錦」の貴重さがよく分かります。

 唐から宋の時代にかけて、錦織の技術は急速に発展し、色や柄のバリエーションが豊富になりました。そして唐の貞観時代に、初めて文字入りの錦織が登場しました。中でも王羲之の『蘭亭序』の錦織は当時の最高傑作で、唐太宗が「極品(ごくひん)」として宮中に収蔵しました。元の時代は錦織の全盛期で、金や銀の糸を緯糸に使い、荘厳華麗な「金錦」が作られました。

 中でも中国の伝統的な錦織として有名な、成都の「蜀錦(しょくきん)」、蘇州の「宋錦(そうきん)」、南京の「雲錦(うんきん)」と広西の「壮錦(チワンきん)」は、「中国の四大錦」と呼ばれています。

蜀錦

 蜀錦とは、「蜀」と呼ばれた現在の中国の四川省成都地区で生まれた彩錦で、二千年以上の歴史がある「中国の錦織の最初のマイルストーン」と言えます。

 蜀錦の制作は漢王朝期から始まりました。当初は複層の経糸を使ったものが主でしたが、唐王朝期以降はますます多様化して、蓮の花をはじめとする花柄や亀甲、格子柄、つがいの禽獣や鳳凰などの模様を織るようになりました。そして清王朝期以降の蜀錦は、江南の錦織の影響を受けた「月華錦」「雨糸錦」「方方錦」「浣花錦」などの錦が織られ、中でも特に「月華錦」と「雨糸錦」は特徴的でした。

 多くの蜀錦は、経糸の色を基本色とし、その上に花を添えます。蜀錦は、重厚で強靭な質感を持ちながら、精細な織り方と優雅な色遣いによって、複雑で華麗な模様を表現します。その美しいスタイルで、蜀錦は民族的な特色や地域の特徴を持つ色鮮やかな錦となりました。

 当時、蜀錦の価格が黄金と同じくらい高価だったのは、主に複雑な製造工程が原因です。一つの作品を完成させるには、主に仕様設計、仕様決定、意匠付け、「挑花結本②」、織機のセッティング、織りなど、いくつもの重要な工程が必要です。これらのそれぞれ工程には、数多く独自の技法が含まれます。蜀錦を作る木製機械「大花楼織機」で蜀錦を織るためには、模様の曳き手と織り手が、さまざまな技術を習得する必要があり、これら古来の錦織技能は、どれも素晴らしい技術ばかりです。しかし、私たちが見学ツアーなどで見る、「大花楼織機」を操る二人の職人は、表舞台に立つ人に過ぎず、蜀錦の完成の裏側には、重要な役割を担う多くの人々の努力と協力があります。

 2006年5月20日、蜀錦織りの技術は、中国国務院によって、中国最初の国家級無形文化遺産リストへの登録が承認されました。

宋錦

 宋錦の起源は隋と唐の時代ですが、宋王朝期で栄えたことにちなみ、その名が付けらました。主に蘇州で生産されていたため「蘇州宋錦」とも呼ばれています。

 言い伝えによると、宋の高宗皇帝が南方に渡った後、当時の宮廷衣装や書画の表装の需要に応えて、宋錦の生産が始まったそうです。特に表装や絵画産業の隆盛に伴って、特殊な用途と独特の芸術風格を持つようになったとのことです。

 元王朝期になると、宋金錦を織ることで、蘇州は有名になりました。明王朝期になると、蘇州の宋錦は主に三枚の経糸文様、三枚の緯糸文様で編成されて、精緻で独特な特色があり、強い生命力と生活感を感じられる織物になりました。

 宋錦は、華やかな色彩、精緻な文様、強靭でありながら柔らかな生地が特徴で、中国では「錦繍の王冠」と称されています。2006年、宋錦は、第1次中国無形文化遺産リストに登録されました。2009年9月には、ユネスコの世界無形文化遺産保護政府間委員会が、宋錦を世界無形文化遺産リストに登録しました。

雲錦

 雲錦には、約1600年の歴史があります。東晋の義熙13年(紀元417年)、建康の地(現在の江蘇省南京市一帯)に「錦署」が設置されたのが、正式な雲錦の誕生だとされています。

 雲錦は、南京で作られた絹織物の総称で、彩錦、暗花絹と粧花緞子などの種類があります。中でも、大量の金糸や銀糸を使用した「彩錦」は特に色鮮やかで、まるで空に浮かぶ雲のような黄金色に輝くその華麗な姿から「雲錦」と呼ばれるようになりました。

 彩錦のデザインには「大輪の花なら一茎にしない」「大きな果実なら二枝にする」「長い枝は葉で覆う」「葉は三、五枚までとする」「果実の間から見える葉は大きく見せない」「果実の模様を描いたら果実の全体を見せない」というルールが伝わっています。これらの細かいルールによって織り出された雲錦は、細部まで拘る厳密な構造を持ちながら、気迫満ちる模様となりした。

 雲錦の機織りは、中国の伝統的な束綜提花機(花機)の中で最も複雑の一種で、15世紀に発明された「雲錦粧花環状大花楼木製織機」を使って、二人の織り手が協力しながら織りだします。雲錦の主な種類として「織金」「庫錦」「庫緞」「粧花」などが、現在まで伝わっています。

南京市博物館所蔵の南京雲錦織機(KongFu Wang from Beijing, China, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons)

 元王朝期以降、雲錦は皇族御用達や貢物として使われ、清王朝期には「江寧織物署」という雲錦製造の専門施設が設置されました。

 2009年9月30日、南京雲錦織りの技術は、ユネスコの『人類無形文化遺産代表リスト』に登録されました。

壮錦

 壮錦は、広西チワン族自治区の有名な伝統的手織り絹織物で、宋の時代から現れたものです。宋の時代に、チワン(壮)族はトン(僮)族と呼ばれていたため、壮錦は「僮錦(トンきん)」とも呼ばれます。

 壮錦は、経糸に綿糸を、緯糸に多色の絹を使用するので、民族的な色彩とコントラストが強く出ています。

 剪紙③の模様に近い壮錦の模様は、たくましく力強く、カラフルな変化と華麗な色彩、強いコントラストで、その色濃く力強い作風は、チワン族の人々の、天と地に対する崇拝と、より良い生活の追求と願望を表しています。

 現在の広西チワン族自治区来賓市に位置する忻城(きんじょう)県は、広西壮錦の発祥地の一つで、長い歴史と深い文化を持つ地区です。「忻城壮錦」は広西壮錦の中で最も優れたものとして、かつて皇帝に献上されたこともありました。

 以上、中国の四大錦をご紹介しました。どれもが咲き乱れる花より華麗な織物ばかりです。もし中国を訪ねる機会がありましたら、ぜひ古来の芸術品「錦」に触れてみてはいかがでしょうか。
 
註:
 ①中国語原文:淮海惟揚州。(中略)厥篚織貝,厥包橘柚,錫貢。(『尚書・夏書<禹貢>』より)
 ②「挑花結本」とは、「通経断緯(つうけいだんい)」とも呼ばれ、経糸だけが織幅を貫通し、緯糸は織幅を貫通せず、必要な所だけ経糸と織り合わせるという、中国の錦織における特有の技法。
 ③剪紙(せんし)とは、中国の伝統的な民間芸術の切り絵細工。
 
(文・戴東尼/翻訳・清水小桐)