【南宋】趙孟堅の『歳寒三友の図』(國立故宮博物院・台北、パブリック・ドメイン)

 冬の厳しい寒さの中でも、常緑を保つ「松」と「竹」、美しく咲き誇る「梅」。古代より中国人は、この三つの植物を「歳寒三友(さいかんのさんゆう)」として讃えてきました。中国伝統文化では、四季を通して緑の葉を茂らせる「松」は不老長寿の象徴として、折れても屈しない「竹」は君子の道の象徴として、雪の中で咲き誇る「梅」は気高く穢れない者の象徴として認識されてきました。そのため、古代中国人は「歳寒三友」をテーマとして、数々の詩を詠み、画を描き、「歳寒三友」に自分の志を託していました。

 「歳寒三友」の「歳寒」とは、一年中最も寒い季節のことを指します。孔子が「最も寒い季節、他の植物の葉が枯れ落ちるなかで、松や柏の葉だけが枯れないで残るのを知りました①」と話したように、松は、どんな困難でも乗り越えられる強い心力を持ち、道へ向かう修行の人とその初心の喩えともなりました。

 唐王朝期の詩人・白居易が詠んだ『池上竹下作』には「水能く性淡く吾が友たり、竹解く心虚に即ち我が師」の句があります。これは、「水は人を淡泊な性格にできるから、私は水を友と呼ぶ。竹は謙虚についてよく理解しているので、私は竹を師と呼ぶ②」という意味です。

 この詩は、白居易が杭州の刺史としての任期が満了し、洛陽へ帰り、悠々自適の閑居生活を楽しんでいた頃に詠まれました。特に水と竹に関する二句は、官僚の世界の煩わしさを逃れて、自分の中の安寧を求める心情を吐露するほか、竹の謙虚さをうまく表現しています。

 古代の中国人は、梅が四つの徳を持ち合わせていると考えていました③。芽生え始める時の梅は「万物の始まり」である「元」の徳を象徴します。花咲く梅は「万事順調」である「亨」の徳を象徴します。実を結ぶ梅は「吉祥、利益」である「利」の徳を象徴します。そして熟した梅は「屈しない固い節操」である「貞」のを象徴します。

 春に咲く多くの花とは異なり、梅の花は寒くなればなるほど強く咲き誇り、より一層美しく見えます。寒さに負けない梅の花は、困難に負けず、粘り強く、勇敢な不屈の精神の象徴でした。

絵画の中の「歳寒三友」

 南宋王朝期の画家・馬遠(ば・えん)が描いた松竹梅は『歳寒三友図』とも呼ばれます。馬遠はこの画作で、そびえ立つ高峰のほとりに、張り巡らす松と咲き誇る梅、そして葉を揺らす竹が織りなす風景をまるで仙境のように描きました。更に季節が移り替わろうとも、松と竹と梅の変わらない美しさを表現し、身を清く保つ文人の気概と品徳を暗示しています。

 同じく南宋王朝期の画家・趙孟堅(ちょう・もうけん)も『歳寒三友の図』を描きました。工筆画と写意画の両方の良さを取り入れたこの画作では、気迫のこもった鋭い墨線で松葉を描き、中鋒の筆で竹葉をはっきりと表現し、淡い墨で引き立てた濃淡を使い分け梅の花びらを光らせます。花びらと蕾が共存する梅の枝を軸に、星の光のような松葉と、墨の影のような竹葉を交ぜ、画面の中央に横向きに配置する趙孟堅。歳寒三友をそれぞれ異なる描き方で表現し、清々しい情趣を全面に出しています。亡国の痛みを経験した趙孟堅はこの画作で、乱世の中にいても二心なく忠節を貫く品格を表しました。

日本での「歳寒三友」

 中国文化で高潔な品格を表す「歳寒三友」は、日本文化においては吉祥の意味が増します。不老長寿を意味する松、子孫繁栄を象徴する竹、そして疫病を退散させる奇跡の梅。歳寒三友は縁起物として、多くの場面で使われるようになりました。

 例えば、皇居の正殿棟には「正殿松の間」「正殿竹の間」「正殿梅の間」があります。「正殿松の間」は新年祝賀の儀、勲章親授式等の主要な儀式に使用されます。「正殿竹の間」はご会見、ご引見などに使用され、「正殿梅の間」は皇后誕生日祝賀、その他の儀式・行事に使用されます。

 また、寿司屋では、お寿司の格付けに「松・竹・梅」が使われています。江戸時代の寿司屋ではお寿司の格により「特上」「上」「並」と分けていましたが、一番安い「並」は客が遠慮して頼みづらいので、「特上→松」「上→竹」「並→梅」と置き換えたと言われています。しかし、お店によっては「梅」を最上位に置いてある場合もありますので、注文する前に、そのお店では松と梅のどちらが格上なのか、聞いてみた方がいいでしょう。

三友百禽図(明・邊景昭)(パブリック・ドメイン)

 高潔の象徴でありながら、身近な縁起物にもなった「歳寒三友」松・竹・梅。どのような使われ方をしても、それらの変わらない美しさは、これからも永遠に語り継がれていくのでしょう。

註:
①中国語原文:歲寒,然後知松柏之後彫也。(『論語・子罕』より)
②中国語原文:水能性淡為吾友,竹解心虛即我師。(白居易『池上竹下作』より)
③中国語原文:梅長初生為元,開花為亨,結子為利,成熟為貞。(『朱子語類・易四<乾上>』より)

(文・戴東尼/翻訳・常夏)