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 「事を成す前に身を持する」と言われるように、世間と交わってうまく生活していくには、まず自身を磨かなければなりません。これを「処世術」と言います。そんな処世術が詰まった、「処世奇書」の一つと呼ばれるのは、清王朝後期の文学者・王永彬(おう・えいひん)が著した『囲炉夜話』です。その中に最も有名な一節は、数えきれない処世術をたったの二文字で総括し、人生にすごく有益な助言を与えています。

 それは、「為善之端無盡,只講一讓字,便人人可行。立身之道何窮,只得一敬字,便事事皆整」という一節です。

 現代日本語に訳すと、「善行をする方法はたくさんありますが、「譲(ゆずり)」という一文字ができれば、誰でも(善行を)出来るようになれるでしょう。世渡りの方法もたくさんありますが、「敬(うやまい)」という一文字さえできれば、どんなことも解決出来るでしょう」との意味です。

 どうして王永彬はこう言ったのでしょうか?その言葉の意味を分析してみましょう。

 譲(ゆずり)

 「譲」の文字には、二つの意味が含まれております。一つは「争わない」で、もう一つは「捨てる」です。「争わない」とは、どんな事も縁のままに、自然のままにすることです。そうすれば、重箱の隅をつつくこともなく、まして名利のために人を傷つけることもなくなります。

 「争わない」ことができ、さらに「捨てる」ことも出来たら、自分が持っているものに未練がなく、喜んで人を助けます。そうすれば、当然のことに、正義を助け、社会のためにもっと多くの貢献をする勇気がついてきます。

 善行をする鍵は「譲」です。「譲」ができれば、どんな善行でもできるようになります。

 敬(うやまい)

 「敬」の文字には、「人」「事」「己」の三つを敬うという意味が含まれています。

 他人を敬うことができれば、人間関係は自然と友好的になり、争うこともなく、仲良く楽しく付き合うことができます。

 物事を敬うことができれば、自然と強い責任感を生じ、何事も全力で臨み、細心の注意を払い、ごまかしたり、怠ったりもしません。

 そして自分を敬うことができれば、自分の人生に責任を持ち、品行に損をするようなことはしません。その日暮らしのようなこともせず、自分自身を厳しく律し、勉強し続け、道徳と修養を高め、自分自身の価値を高めるようと努力していきます。

 まさに王永彬の言ったとおりですね。処世術はたくさんありますが、「譲」と「敬」が出来れば、何事にも融通無碍(ゆうずうむげ)になるでしょう。

(翻訳・清瑩)