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中華民族の赤色恐怖 中共による数々の「運動」を振り返る

1967年(文化大革命時期)、天安門広場で毛主席語録を掲げる紅衛兵(パブリック・ドメイン)

 結党100年を迎える中国共産党(以下、中共)は、当局より新編『中国共産党簡史(以下、党史)』を発行した。党員に学習を強制する習近平総書記の命令が「全国民に対する新たな洗脳」と批判された。中共は「1949年10月の建国から1976年10月の文化大革命の終結までの27年間に『艱難辛苦(かんなんしんく)なる探求』をした」と自称したが、実際には、大勢の中国人が不自然な死に遭い、中華民族が赤色の恐怖に陥った時期だったと、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)が6日に掲載した文章で指摘した。

 あの「探求」の期間中、「土地改革運動」「反革命分子鎮圧運動」「三反五反運動」「反右派闘争」「文化大革命」など、中共による数々の運動で、次々とでっち上げられた「階級の敵」が迫害されて虐殺された。数えきれないほど多くの中国人は家も家族も失い、数千万人の中国人が命を落としたことを、『党史』は中国国民に教えていないと、ボイス・オブ・アメリカは同文章で指摘した。

 『共産党についての九つの論評(以下、九評)』は、中共の殺人の歴史をまとめ、中共の理論的な根拠と現実的な需要を基に殺人をし続けたとコメントした。

 中共元党首・毛沢東は、「反革命分子鎮圧運動」で、「人口数の千分の一の数量を計算する。この数の半分で(人を殺して)、あとは場合によって決める」という「殺人の指標」の手口で人を殺してきた。その後の「三反五反運動」「反右派闘争」もこのような殺人のロジックで人を殺してきた。

 「大躍進政策」という失敗した政策が全国で行なわれた結果、広範囲の農村で餓死者続出の大飢饉が引き起こされ、3500万人から4000万人(一説には4500万人)の死亡者が出た。そのわずか4年後、毛沢東は「大躍進政策」の失敗を隠し、自身の権威を固めるため、「文化大革命(文革)」を主導した。

 「文革」期間中、中共の党首らの扇動により、中国各地の「紅衛兵」たちは「破四旧」をスローガンとし、中国各地の無数の貴重な文物や古跡を破壊した。毛沢東の命令により、1600万人の中学生は教室を離れ、「上山下郷(下放)」をせざるを得なかった。軍隊をも巻き込んだ武闘を繰り広げ、数千万人の中国人が殺された。中共の資料『広西文革大事記』によると、1968年、広西チワン族自治区における軍隊と民間人の派閥争いによる1年間にもわたる虐殺で、死者数は20万人であった。広西チワン族自治区以外に、北京、内モンゴル、広東、雲南などで大規模な虐殺事件が起こり、さらに多くの人々が罪に問われ、家も家族も失った。

 しかし、新編『党史』はこの10年にも及ぶ大きな災難を『艱難辛苦なる探求』と描写した。さらに、「文革」期間中の経済、外交と国防科学技術における中共の「重大功績」を大いに称え、「文革」がもたらす災難的な結果を隠ぺいしようとした。

 『九評』は、中共の結党史は殺人の歴史だとまとめた。「1949年以降、中国では人口の半分以上が中共の迫害を受けたことがあり、不自然に死亡した人数は6千万ないし8千万と推定され、二度の大戦における死亡者数の総数を上回っている」と同書はコメントした。

 中共は27年間の殺人の歴史に一言も触れず、『党史』に『艱難辛苦なる探求』としてまとめた。『党史』は、それらの重大な歴史的事件を隠ぺいし歪曲した。それだけでなく、「文革」で被害者だった習近平は近年、個人の権力と個人崇拝を求め始め、ますます毛沢東のようになりつつあると、ボイス・オブ・アメリカは指摘した。

(翻訳・常夏)

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