アイザック・ニュートン(Isaac Newton)、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)(イメージ:看中国/Vision Times Japan)

シェイクスピア:色々と控えた時期に、三大悲劇を完成

 ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)は生涯において、大疫病を何度も経験しました。なんとシェイクスピアが生まれた時も、ペストが流行していたそうです。そんなロンドンを席巻した疫病で、シェイクスピアは息子を含む多くの愛する人を亡くしたそうです。

 感染拡大を防ぐため、休業命令を受けるのはまず劇場でした。シェイクスピアが所属していたグローブ座(Globe Theatre)は1593年、1603年と1606年のそれぞれの年で休業したことがあります。文献によると、その期間の60%は休演状態だったとのこと。劇団はやむを得ずツアーを開催し、田舎で公演する事になりました。中には演劇を辞め、ほかの業界に転じた俳優も多くいました。

 そのような時にもかかわらず、シェイクスピアは創作に専念しました。『リア王(King Lear)』と『マクベス(Macbeth)』、『アントニーとクレオパトラ(Antony and Cleopatra)』は、この時期に完成したと推測されます。困難の時期が転じて、シェイクスピアの才能あふれる創作のために必要な時期となったのです。

嵐の中のリア王と愚者(パブリック・ドメイン)

 当時のロンドンは、市民がペストで苦しんでおり、街中至る所、怖い惨状で溢れかえっていました。下水道がなかったため、ごみや排泄物はそのままテムズ川に流され、空気も非常に汚染されていました。ペストに感染した人は、3日か4日で死に至り、悪臭を放ち、それがあちらこちらで見られました。

 このような悲惨な光景を目の当たりにしたことで、あの有名な三部の悲劇が生まれたのかもしれません。これらの作品は、人格の弱さから悲劇に墜ちる人の心境の変化を深く描写しながら、因果応報の理を詳しく解釈し、人々に考えさせるものです。斯様な時期にも力を注ぎ、文学史上の傑作を創作したシェイクスピアは、本当に異才です。

ダ・ヴィンチ:疫病に苦しむミラノのため都市計画を策定

 有名な画家・彫刻家・発明家のレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)がミラノ公・ルドヴィーコ=スフォルツァ(Ludovico Sforza)公に仕えていた1485年は、ペストで蹂躙されていました。当時、ミラノの人口の三分の一にあたる5万人が、ペストで死亡したと言われています。

 狭く、汚く、混雑していたミラノ城が、ペストに苦しんでいる惨状を見たダ・ヴィンチは、この町がどうすれば回復し、そして将来的にもっと健康的な生活ができるかなど、都市計画の改善について考え始めました。

 15世紀のダ・ヴィンチは、都会大都市が直面する多くの問題をすでに想定していました。彼が描いた絵図や手稿の注釈には、交通計画、地下水道、新旧市街の共存、人口の発展などの問題に対する都市計画が見受けられます。また、ダ・ヴィンチは、美しさと清潔さと効率性の共存を強調していました。当時の人々から見ると、ダ・ヴィンチの構想は斬新すぎて、すぐには実現できそうもない発想でしたが、現代の都市計画ではダ・ヴィンチの構想が数多く参照されています。19世紀のパリの都市再開発は、まさにその例の一つです。多才なルネサンスの巨匠であるダ・ヴィンチは、彼の優れた見識が何世紀も先取りして世界をリードしていたということです。

ダ・ヴィンチの手描きの理想的な都市の構図(パブリック・ドメイン)

 外出自粛は、現在人々の活動を制限していますが、このような時期だからこそ、心にゆとりを持ち、人生を見直すことができる機会でもあります。疫病による外出制限はまさに、私たちにとっては自分磨きの好機とも言えるでしょう。この3人の巨匠の物語を見ると、彼らは困難な時期に自分のできる限りを尽くし、天から授かった才能を大いに発揮したからこそ、疫病の収束後、それが開花され、歴史に残ったのではないでしょうか。

 「禍は福の倚る所」と言われるように、私たちもこれを機に、自分磨きに励むことを選択肢の一つにしても良いかもしれません。

(おわり)
 
(翻訳・常夏)