アイザック・ニュートン(Isaac Newton)、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)(イメージ:看中国/Vision Times Japan)

 さて、ニュートン、シェイクスピア、ダ・ヴィンチの共通点とは何でしょう?実は彼らは皆、パンデミックを経験したことがあり、「外出自粛期間」を善用して創作に力を注いだ人たちです。そして自粛後に異彩を放ち、人類に傑作を残してくれました。

 中共ウイルス(武漢肺炎)は、多くの人の生き方を変えてしまいました。私たちは外出の自粛を要求されているため、あらゆる社交活動も軒並み中止となっています。スケジュールに追われていた人は、まるで宙に浮いたかのように目標を見失ってしまっているかもしれません。

 心理学者のジョアン・ローゼンバーグ(Joan Rosenberg)氏はこの状態を「正常な喪失感」であると指摘しました。確かに私たちは、普段の生活習慣を喪失したかもしれませんが、それは必ずしも悪い事とは言い切れません。ことわざに、「すべての雲には銀の裏地がある」と言うのがあります。私たちはみな、困難の中からヒントを見つけ、自分の輝きを探すこともできるはずです。

 これまでの歴史の中で、パンデミックは多くありますが、当時の人々はどのように臨んだのでしょうか?科学者のニュートン、大文豪のシェイクスピア、そして芸術家のダ・ヴィンチの物語から、今私たちのやるべきことが見つけ出せるかもしれません。まずはニュートンの話から見てみましょう。

ニュートン:外出自粛期間は、私の絶頂期だっ

 1665年、イギリス・ロンドンから伝染してきたペストがケンブリッジに拡散されました。ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジも一時閉鎖になり、教員・学生・住民たちはみな郊外へ避難し、「社会距離戦略(social distancing)」を実施することになりました。当時22歳の若き学士であるアイザック・ニュートン(Isaac Newton)もその一人です。自分の故郷である、ウールズソープ・マナー(Woolsthorpe Manor)に戻り、約2年間の「家籠り生活」を始めました。

ニュートンの故郷である、ウールズソープ・マナー(Woolsthorpe Manor)(イメージ:Wikimedia Commons / Claire Ward CC BY-SA 2.0

 この隔離された静かな環境の中、ニュートンは授業を受けることも、社交活動をすることもなく、ましてやスマホやインターネットさえない時代です。しかし、ニュートンは暇を持て余すことなく、常に思考し、探求したい課題をたくさん持っていました。この期間中、ニュートンは綿密な研究をし、たくさんの成果を上げました。例えば、現代の微積分学と解析幾何学のひな型を発展させました。また、重力を測定するための実験を設計し、万有引力の着想に没頭したり、寝室での光学実験をしたりしました。さらにブラインドに小さな穴を開けて、太陽の光が入って来るようにし、プリズムを使って可視光線のカラフルな変化の観察もしました。

 この時期を思い出し、ニュートンは「驚異の諸年(ラテン語:Annus Mirobilis、英語:Years of Wonders)」と称しています。「あの時、私は発明の絶頂期にいました。数学と哲学への研究の深さはこの上ないものでした。」

 1665年から1666年まで続くこのロンドンの大疫病で、イギリスの人口の四分の一が感染し、死亡しました。14世紀の黒死病に次ぐ、イギリス本土で最大級の致命的な疫病でした。

 1667年、ニュートンはケンブリッジ大学に戻り、多くの論文を発表し、半年後にはフェロー職に、その2年後には教授職に就きました。ニュートンは物質、時間、光学、色彩などのテーマについて、生涯考え続けた人生でした。

(つづく)

(翻訳・常夏)