明人十八学士図(國立故宮博物院・台北 / パブリック・ドメイン)

(三)

 寛容は放任に等しくありません。自分を傷つけた人を寛大な態度で対応することができても、国を治めることとなると、才徳兼備(※1)の人を選ばなければなりません。

 北宋の名宰相・張齊賢(943年~1014年)が右拾遺から江南の轉運使に昇進した時のことでした。ある日、彼は家で宴会を開いていると、ある召使いが数個の銀製の食器を盗んで懐に隠しました。張齊賢はカーテンの後からその一部始終を目撃しました。しかし、彼は黙って何も言いませんでした。晩年、張齊賢は宰相になり、彼の多くの召使いの人も官吏に昇格しましたが、銀食器を盗んだ召使いだけは官職も俸禄もありませんでした。

 召使いは張齊賢の前で長く跪いて泣きながら、「私は最も長くあなたのお世話をしてきました。私よりも後に入った人が官吏に昇格しましたが、どうして私だけは忘れられたのでしょうか」と訴えました。張齊賢は同情してみせましたが、「本当は言いたくないのだが、お前は江南でのことを覚えているか? あの時お前は銀食器を盗んだ。この事をわたしは心に30年も隠して、誰にも言っていない。お前も知らされていないであろう」と言って諭しました。

 「今、わたしは宰相になり、官吏を任免する立場になったが、わたしは才徳兼備の人しか起用しない。泥棒を役人に推薦することができると思うか? お前はわたしの世話を長くしてきた。その苦労を考慮して、今、お前に30万銭を与えるから、もうここから離れなさい。この件はすでに知られたから、お前も恥ずかしくてここにはいられないだろう」と言いました。召使いは非常に驚き、泣きながら別れを告げました。

 程頤(てい い:中国北宋時代の儒学者)はかつて、「我慢できないことを我慢し、寛容できないことを寛容することは、普通の人より度量の大きい人しかできないことだ」と言いました。また陸遊(りく ゆう:南宋の政治家で詩人)は詩の中で、「忿欲至前能小忍……」、つまり「怒る前に少し我慢ができる」と言い、杜牧(と ぼく:中国晩唐の詩人)も「忍过事堪喜」、つまり「耐え忍べば、悩みが消える」とも言いました。

 これらの古代の賢者たちの言葉はとても素朴で誠実なものです。現代人は派手で物欲に満ちた生活をしており、特に中国の場合、中国共産党の偽・悪・闘の党文化に惑わされているため、我々はもっと心を落ち着かせ、古人の寛大で辛抱強くて、思いやりのある虚心坦懐(※2)から学ばなければならない。

出典:元・呉亮『忍経』
※1 才徳兼備(さいとくけんび:すぐれた才知と人徳を兼ね備えていること)
※2 虚心坦懐(きょしんたんかい:心にわだかまりがなく、気持ちが素直でさっぱりしていること)

(おわり)

(明慧ネットより転載)