地球に接近した流星のドラマチックな画像(AnnieCee, Wikimedia Commons, Public Domain)

(前文の続き)

2013年ロシアの隕石事件での異常現象

 現代科学に対して無限の憧れを抱く人々が多く存在する現代において、人類が発展することで、いつかは科学により、人類が解決できないすべての問題を解決できると信じています。もしこのように実現できた場合、この美しい憧れ自体には非難の余地はありません。

 しかしながら、人類が究極的な問題に触れるとき、例えば人類の起源、宇宙の存在の理由、人類の滅亡などの命題に関しては、科学が小さく見えてしまい、仮説を設定し推測を行うことはできても真実を提供することはできません。例えば、世界中で3年間猛威を振るった新型コロナウイルスが現れたときは突然で、去ったときも突然であり、人々を怯えさせ手探り状態に陥らせましたが、この疫病が何であるかについて、人類は依然として迷っています。

 人類の文明はどのような形で滅びる可能性が最も高いでしょうか? 2000年『ディスカバリー』誌は人類滅亡の可能性のある20の出来事を列挙し、衝突事件がトップに君臨していました。これは単なる危機感をあおるものではありません。

 2013年、ロシアのシベリア地方で発生した隕石の衝突事件は、半分の地球、あるいは人類全体を消滅させる危険な衝突事件でありながら、危険が迫る瞬間に神秘的に解決されました。科学者たちはこれに驚嘆しましたが、今日に至るまでその科学的根拠を見つけることはできませんでした。

 2013年2月15日午前9時20分、ロシアのシベリア地方チェリャビンスク市上空に突然、地面に向かって高速で飛来する巨大でまぶしい白い光が現れました。地上から約30キロメートルの高度で、その白い光は瞬時に爆発し、輝く火の玉に変わり、瞬く間に市全体を照らしました。

 科学者たちは後に映像資料から、空中の白い光が直径約8.5メートル、重さ約7200トンの隕石であることを突き止めました。この隕石は秒速18キロメートルの速度で地球に落下し、大気圏に突入した後に米国の監視衛星によって捕捉されました。地面への衝突にはわずか数秒しかかからず、人類は完全に阻止することができませんでした。巨大隕石の落下軌跡から見ると、衝突地点はチェリャビンスク核発電所や核物質の保管庫からわずか100キロメートル以内でした。もし本当に地面に衝突した場合、50万トンのTNT当量に相当する破壊力を発揮し、原子力発電所を爆発させると、ユーラシア大陸全体が消滅して、人類にとっては終末の災厄をもたらす可能性があります。

 当時、空中を飛んでいた民間航空機のパイロット、アギコフ氏は後に回想して、飛行機が通常巡航中に向かい側から巨大な火球を見た。飛行機の機内でも熱波を感じた。数秒後、飛行機が激しく揺れた後、大きな爆発音が聞こえた。降下してきた隕石は空中で爆発し、無数の隕石片になった。

 隕石が空中で自然に解体したのではありません。事故から3日後、ロシアのメディアは車載カメラが撮影した映像を公開し、その映像には隕石が落下する過程がはっきりと映っており、隕石が斜めに地面に向かって落下する直前、不明の物体が隕石に追いつき、突き抜けて砕いた様子が見て取れます。専門家は、隕石の落下速度が毎秒18キロ(54マッハ)であるのに対し、後方から追いかけてきた不明飛行物体の速度は毎秒40キロを超える可能性があり、これは超音速機よりも速く、現在世界で最も速い核爆弾の速度でも30マッハを超えない。明らかに、これは人間の能力では到底ものです。ロシア当局は軍事兵器を使用しておらず、隕石が落下することさえ知らなかったと語っています。

2013年、チェリャビンスク上空での隕石の自爆

 多くのロシア市民が隕石の落下と破壊の過程を肉眼で見ています。驚くべきことに、異なる歩行者、異なる車両が、異なる角度から隕石が解体された後に物体が飛び去るのを撮影しています。隕石の破片は7000以上の建物を損壊させ、1000人近くが負傷しましたが、死亡者はいませんでした。隕石の破片はロシアの博物館に保管されており、隕石の破片について神秘的な現象も伝えられています。観客が博物館で隕石を見ているときに、透明なカバーが隕石と一緒に浮上して空中に浮かんでいるのが観察されました。博物館のスタッフも驚き、誰も悪ふざけをしていないと主張し、この現象を説明することができませんでした。

 隕石が地球に衝突して破壊される寸前、後から現れた未確認飛行物体によって追いかけられ、破壊され解体されました。この奇妙な出来事の推進力は誰でしょうか? このすべてを支配しているのは誰でしょうか? そして、誰が人類を黙って守っているのでしょうか? 私たちは深く考えなければなりません。現代科学の定義に従えば、自然や宇宙自体には意識や思考能力が備わっていません。したがって、このように目的や目標が明確であり、人類を救済する大規模な出来事は、自然や宇宙自体から生じたものではあり得ません。唯一の可能性は、神々や高次元の生命体が関与していることです。

数年前、地球は幸運にも一度危機を回避しました。

 2013年の前年は2012年であり、伝説のマヤの預言による世界の終末年でした。しかしその年は何も起こらず「終末派」をからかう者が現れました。しかし2年後、アメリカ航空宇宙局(NASA)のウェブサイト上で発表された声明は、衝撃的な秘密を明らかにし「からかう派」を打ちのめし、人類が2012年に幸運にも一劫を逃れたことを明かしました。

 今回、人類を皆殺しにしようと企んでいるのは、あちこちに飛び回っている隕石ではなく、人類が無限に頼っている、輝かしい太陽です。

 2012年7月23日、150年ぶりに最大威力の強力な太陽風が地球の軌道を通過したと、NASAの声明があります。コロラド大学の大気物理学者・ベーカーは、もし1週間早く発生した場合、数十億トンの帯電粒子が秒速2500キロで地球の磁場に向かって突進し、世界中の電力網が停止する可能性があったと指摘しています。この強力な太陽風の威力は1859年に起こった「キャリントン・イベント(Carrington Event)」と同じレベルでした。一般に、Dst指数(単位はナノテスラ、nT)は、地球磁場が太陽風にどの程度影響を受けたかを示す指標であり、Dst指数の負の値が大きいほど、太陽風は深刻な影響を与えます。キャリントン事件のDst指数は-850nTであり、2012年の太陽フレアのDst指数は驚異の-1200nTに達しました。

 この前、米国NASAの専門機関である太陽力学天文台が、その所属するNASA公式サイトSDOで太陽表面の高解像度画像を公開しました。太陽のNOAA-1042およびNOAA-1401の太陽黒点活動領域には異常な活動が見られ、人類が太陽を観測して以来、最も深刻なものの1つであり、世界末日レベルの強力な太陽風が形成される可能性が高いとされました!科学者たちが驚愕し、絶望的な状況に陥ったとき、奇妙な現象が発生しました。太陽表面および周囲には、突然何百もの黒い不明物体が現れ、それらが太陽のエネルギーを吸収し始めたかのようでした。その後、太陽風は地球を外れました。

 これによってマヤの予言が間違っていたわけではなく、人類があまりにも幸運だったのです。

人類は創世主に守られ続けています

1999年7月にNASAが撮影した地球の表情

 1999年7月、アメリカ・NASAの衛星が撮影した時、人類を震撼させる写真があります。半分の地球が悪魔サタンのような邪悪な顔をしています。アメリカ当局はこの写真に何の意味もないと考えていましたが、当時のアメリカ大統領クリントンは見た後、この写真を教皇や各宗教の指導者にコピーして送るよう求めました。

 あるアメリカの宇宙機関の役人が言った「これは本当に説明しがたいことです。というのも、人類が外宇宙から地球を観測することは今日からではありません。なぜこんなにも恐ろしい悪魔のような顔が最近まで発見されなかったのでしょうか? これがフランスの大予言家・ノストラダムスが預言した本世紀末の大災厄と関係しているのでしょうか?」

 1999年からたった24年の間に、人類は死神と何度もすれ違ったのでしょうか?疫病、洪水、地震、戦争、核戦争、天体衝突、なぜすべての災難が人類を運良く避けて通ることができたのでしょうか? 次の災害が襲ってきたら、人類はまだこんなに運良くいくのでしょうか?天地の深淵の中で、人類の最後の運命を決めるのは、果たして誰が人類を見守り、保護しているのでしょうか?

 2023年1月20日、法輪功創始者・李洪志先生は『なぜ人類が存在するのか』という経文を発表されました。その中で「宇宙には成、住、壊、滅があり、人間には生、老、病、死があり、これは宇宙の摂理です」、「現在、人類社会は成、住、壊、滅の「滅」の最終段階の真っ只中にあります」と明かされました。「天、地、神、創世主は衆生に慈悲深いのです。天、地、人、神は皆、創世主によって造られたのです」と述べられ「人間がこの世にやってきたのは救いを得るためであり、創世主によって救われ天国世界に戻るのを待つために人間になったのです。待っている間の生々世々、功徳を積み続けています。これも人間が輪廻転生する目的であり、乱世は衆生を成就させるためにあるのです」と指摘されました。

 『なぜ人類が存在するのか』という経文が公表された後、衝撃が走り、句句に天機が込められ、国内外で大きな反響を引き起こしました。そして、末法の混沌の時代に生きる人々に大きな希望をもたらしました。世界中の人々は、急ぎ足の歩みを止め、一瞬立ち止まり、この経文を静かに読むべきであり、それによって生命の救済と栄光を得ることができるでしょう。

(完)

(文・方遠)

(明慧ネットより転載)