市場で診療をしている壺公(絵・肖平)

 「懸壺済世」(※1)と言う言葉は、現代中国語においては、医療と薬品業界に従事する人に対する呼称であり、医術の優れた人に対する美称でもあります。伝統文化では、医者たちは開業する際、いつも「懸壺の喜び」と言う祝いの言葉をいただき、民間の多くの医者は診察室にヒョウタン(壺はひょうたんのこと)を掲げて、病院の標識としていました。

 「懸壺済世」は本来、中国古代の道家の修煉物語から由来し、それは単なる医者が人々を救済するという意味だけにとどまらず、それは中国の伝統文化が「天」に対する認識、そして修煉文化に対する理解と伝承も反映されています。「懸壺済世」と言う物語は非常に面白く、現代科学の考え方に慣れた人には、それは別の角度から大千世界と茫茫たる宇宙に対する認識の視点を提供してくれることができるでしょう。

 壺中天(こちゅうてん)

 釈迦牟尼佛は三千大千世界について語りました。それはつまり一粒の砂に三千大千世界があり、そのそれぞれの世界には、地球と同じように、天と地があり、山と川があり、そして、人類のような生々流転(※2)な生命と万事万物があると言うことです。

 小さな砂の中にはこれほど豊かな世界があるとするならば、ある程度の容量を持つヒョウタンには何があるでしょうか? それでは、古代の仙術を持つ人が如何にして、壺の中の計り知れない世界を見せてくれたかを見て見ましょう。

 漢の時代に壺公(ここう)(※3)と言う人がいました。彼の身分について様々な言い方がありますが、北宋の張君房は著作の『雲笈七籤』(うんきゅうしちせん)の中で、彼のことを孔子の生徒・施存だと言い、北宋の李昉は編集した『太平御覧』(たいへいぎょらん)で、『三洞珠嚢』(さんどうしゅのう)の内容を引用して、彼は名前が謝元で、歴陽(今の安徽省和県)の人だと言い、また、南宋の陳葆光は自ら編集した『三洞群仙録』の中で壺公は別名・俘胡先生だと言いました。壺公の懸壺済世の物語は、東晋の葛洪の『仙人伝』、南朝の範曄の『後漢書』の中にも記載されています。

 壺公は汝南(じょなん)地方で医者をやっていて、いつもヒョウタンを背負って遠方から市場に来て人々に診療をしました。そのため、市場では彼のことを知らない人はいませんでした。彼は普段壺に入っている漢方薬を売っており、値引きを一切断りますが、しかし、彼の生薬がとても効き目があり、飲むと必ず病気が治ると言う評判でした。薬を売る時、彼はいつも患者に「この薬を飲めば、必ず何かを吐き出しますから、その時になると、病気が治りますよ」と言いました。人々はそのようにすれば、すべてその通りの結果になりました。

 こうして、彼のことが1人から10人、10人から100人へと伝わり、彼の商売もとても繁盛して、毎日結構な収入が得られました。壺公は薬を売った収益を少し残し、他の大部分を市場にいる貧しい人々の救済に使いました。壺公は薬が入っているヒョウタンを人の家の屋根の下にぶら下げ、日が沈み、薬を完売して壺が空くと、彼はその壺に飛び込んで消えてしまうのです。

壺公はその壺に飛び込んで消えてしました。(絵・肖平)

 当時、市場を管理している、費長房(ひちょうぼう)と言う小さな役人がいました。彼は建物の上から壺公が市場で薬を販売しているのと、壺に飛び込む光景を全部目の当たりしました。そのため、壺公は決して普通の人ではない、きっと道を修める人だと思いました。

 古代の人は皆本性が純粋で善良で、天に敬意を持ち、道に憧れていました。費長房は壺公について道を学びたいと思い、そこで、彼は毎日苦労を言わず、壺公の売り場の前を掃除し、彼に食べ物や飲み物を供給してくれました。壺公もそれらを拒否せず、すべて受け取りました。こうして、随分長く経ちましたが、費長房は依然と毎日のように敬意を持って丁寧に行ない、少しも怠慢せず、そして、いかなる要求も言いませんでした。

 努力は人を裏切らないもので、ついにある日、壺公は口を開き、「今晩、誰もいない時、わしの所にきてくれないか」と言いました。夜になると、費長房は約束通りにやって来ました。壺公は「わしはひょうたんに飛び込むが、おまえも来る勇気があるか? おまえは来たければ、一緒に飛び込むとよい」と言いました。費長房は壺公の言う通り、彼についてひょうたんに飛び込みました。

 費長房は中に飛び込むと、外から小さく見えたひょうたんは、中は意外とユートピアのような別世界でした。そこには、あずまやや楼閣が建ち並び、楼閣の後ろには色鮮やかな橋がかかり、空には七色の虹も架かっており、それは仙人の世界でした。壺公は費長房に「わしはもともと天界の仙人で、公務をまめに行なわなかったため、人間世界に落とされてしまった。おまえは根基が悪くないから、わしと出会うことができ、このすべてを見ることができたのだ」と言いました。

 費長房は急いで叩頭して、「私は俗界の人で、先生のご慈悲をいただけて、色々と教えていただけで、もうこれ以上の幸運なことはありません」と言いました。壺公はさらに「おまえはいい人だ。しかし、今の事は誰にも言ってはいけない」と念を押しました。

費長房は毎日苦労を言わず、壺公の売り場の前を掃除し、彼に食べ物や飲み物を供給してくれました。(絵・肖平)

 私達が日常経験で築き上げた知識による物質と時空に対する認識は、実は正しくなく、真実ではありません。アインシュタインの特殊相対性理論は時間と空間が一体不可分であり、物理の法則がローレンツ変換では不変であると考えていますが、しかし、速度が光速に近い場合、時間と空間が入り混じるローレンツ変換でなければならないことを示しました。一般相対性理論では質量が時空を曲げることが出来、引力は時空が曲がったことの表れだと考えています。量子力学はもっと不思議で、一つの電子は波のように同時に二つのスリットを通過し、一つの電子は同時に異なる位置に存在することができると考えました。量子力学は特殊相対性理論と結合して、場の量子論を導き出し、その中の素粒子が生成と消滅することが出来ると考えました。しかし、今日まで、物理学者は依然として量子力学と一般相対性理論を整合させることが出来ません。超弦理論はこの目標に挑んでおり、この理論では、それぞれの振動が異なる種類の素粒子に対応しているのではないかと考えていますが、この理論は現在のところ、まだまだ未熟で不十分です。私達人類がもっとミクロ、あるいはもっとマクロの世界に対する理解はまだまだ限られていますが、しかし、もしかしたら、仙人たちはこのような世界の中に存在しているのかもしれません。

 ※1 懸壺済世(けんこさいせい:壺を懸けて世を救うこと。 由来は、 はるか昔の中国で、疫病がはやり、多くの人が死に至った時、 ある老人がヒョウタンをぶらさげてやって来て、薬屋を開き世の人を救ったという)

 ※2 生々流転(せいせいるてん・しょうじょうるてん:万物が限りなく生まれ変わり死に変わって、いつまでも変化しつづけること)

 ※3 壺公(ここう:中国の説話に登場する仙人。後漢の時代に、汝南の市場で薬を売る姓名不詳の老人がいた。彼は店先に1個の壺をぶら下げておき、日が暮れるとともにその壺の中に入り、そこを住まいにしていた)

(つづく)

(明慧ネットより転載)