(看中国/Vision Times Japan)

 法輪功創始者である李洪志氏は2023年1月20日(米国東部時間)、『なぜ人類が存在するのか』を発表しました。以下は中国語から翻訳した文章です。

 

なぜ人類が存在するのか

 まず、中国の新年を迎えるにあたり、皆さんにご挨拶を申し上げます!

 本来、新年なので皆さんが聞きたい挨拶の言葉を述べるべきですが、私に見えた危険が一歩一歩人類に迫っています。したがって、神が世界の衆生に伝えたいことを説くよう、神仏たちは私に頼んだのです。その一言一句は天機であり、目的は人々に真相を知ってもらい、もう一度人間に救われる機会を与えるためです。

 なぜ人類が存在するのでしょうか? 宇宙は生成から末後に至るまで成、住、壊、滅という四つの段階からなる果てしなく長い過程を経ています。宇宙は一たび、この過程の末後である最後の「滅」に至ると、天体の中の一切、我々がいる宇宙も含めて、一瞬にして解体されてしまい、なくなるのです! 全ての生命は尽きるところまで滅されてしまいます!

 人間の死は表面の体の敗壊と老化に過ぎず、人間の元神(本当の自我は死んでいない)は来世、転生します。宇宙には成、住、壊、滅があり、人間には生、老、病、死があり、これは宇宙の摂理です。神にもこの過程がありますが、ただその過程は果てしなく長く、さらに大きい神の場合、その過程はさらに長くなるのです。神の生死には苦痛が伴っておらず、その過程をはっきりと感じることができ、まるで上着を着替えたかのようです。つまり、生命は通常の場合、死亡しないということです。もし宇宙、天体が成、住、壊、滅の最後の段階に解体してしまうと、生命も転生しなくなり、全ての生命と物体はみな存在しなくなり、塵芥と化し、全てが空に帰します。現在、人類社会は成、住、壊、滅の「滅」の最終段階の真っ只中にあります。末後の全てが悪くなったため、滅されることになり、それが原因で現在の社会がここまで乱れてしまったのです。人間に善なる念がなく、性の乱れや心理的な歪み、薬物の乱用、神を信じないなどの乱れた現象が横行していますが、これは天体の末後に起こるべくして起こった現象であり、つまりこの時期に至ったということです!

 創世主は神々と善良で素晴らしいあまたの生命、天体にある美しい造化を大切に思っているため、「壊」の初期に一部の神を率いて無神の地である天体の最も外側にある層(法界外と総称している)にやってきて、地球を造ったのです。地球は独立して存在することができず、地球に対応する天体構造に生命と生物の循環体系があってはじめて存在することができるのです。ですから、創世主は地球の外に大きな範囲を設け、神々はそれを「三界」と呼んでいます。末後の救い済度する時期になるまで、どれほど次元の高い神であっても、創世主の同意がなければ、自由に三界を出入りすることができません。三界の範囲内に三つの大きな世界があります。人類を含む地上の衆生のいる世界は「欲界」と呼ばれています。欲界の上にある第二層の世界は「色界」であり、さらにその上にあるのは「無色界」です。上に進むにつれ、次元が高く美しくなりますが、法界と法界の上にある数々の天国と比べることはできません。人類が普段言及している天は、実は色界と無色界など三界内の天を指しています。なぜならば、どの世界にも十層の天があるため、三界内には三界も含めて全部で三十三層の天があります。人間のいる欲界は最低層にあり、環境も最も劣悪なのです。人生はあまりに短いのですが、最も恐ろしいのは人間の世界に正理がないことです。宇宙で人間の理は逆になっています(神が人間に説いた法理を除く)。例えば、勝てば官軍、武力による天下支配、強者が即ち英雄、などなどは神から見ればいずれも正理ではなく、殺戮や強奪によって成し遂げたのです。宇宙と神はこのようにしませんが、人間の世界では必ずこのように行動すべきであり、これは許されるのです。これは人間界の理であり、宇宙の理に照らせば「逆理」になるため、天に戻ろうとすれば正理に基づいて「修める」しかありません。他の人より良い暮らしを送っているので、満足している人がいますが、これはこの世界で他人と比較しているに過ぎず、実はいずれも宇宙のゴミ捨て場に暮らしているだけです。天体宇宙の最も外側の層に設けられている三界は分子、原子など最も次元の低い、粗く汚い粒子によって構成されています。神の目から見れば、ここは宇宙のゴミ収集所にほかなりません。したがって、神は分子という次元の粒子を土と見なしており、最低層にあるのです。これも宗教で言う「神が土で人間を造った」ことの本来の意味です。つまり、分子で構成されたこの次元の物質で人間を造ったということです。

 神々は創世主の指示で人間を造り、ぞれぞれ異なる神が自分自身の姿形に基づいて外見の異なる人間を造ったのです。そのため、白色人種、黄色人種、黒色人種などの人種が生まれました。外見が違うだけで、内在する生命は創世主が与えたもので、皆共通の価値観を持ち合わせています。創世主が神に人間を造らせた目的は、末後のときに宇宙と衆生、そして神々を救う時に使うためです。

 なぜ、創世主は神々にこれほど低劣な環境で人類を造らせたのでしょうか? ここは宇宙の最低層であり、最も苦しい場所だからです。苦しいからこそ修煉することができ、罪業を消すことができます。苦しみの中にいながら、善良さを持ち続け、恩を感じることができ、良い人になろうとしていれば、これはすなわち自らを高めているということです。しかも救い済度は下から上へ向かって進んでいくので、最低層から始めなければなりません。生命はここで苦しみながら生きており、人間同士の間に利益の衝突があったり、劣悪な自然環境に置かれたり、生きるために精神的に肉体的に苦労したりするなどなど、いずれも生命に向上と業の消去の機会を提供しています。苦しみは罪業を滅することができ、これは間違いのないことです。苦痛とトラブルに遭遇したときも、善良さを持ち続けることができれば、功徳を積むことができ、そして生命は向上していくのです。

 近代になって創世主が人体を利用して宇宙の衆生を救おうとする時になると、人体にあった元々の生命の多くは人間に生まれ変わった「神」によって取って代わられました。人体は苦しみの中で罪業を消し、同時に正理がないなかで、神が説いた正理を堅守し、善良さを持ち続けることができれば、生命が向上することができます。末後の時期はすでに到来し、三界の天門が今や開かれており、創世主はすでにこのような人を選んで救い済度しています。

 天体宇宙は成、住、壊、滅の過程で全てが純浄さを失い、生成当初に及ばなくなったため、「滅」に向かったのです。つまり、天体のなかの全ては堕落し、衆生も初期のときほど素晴らしいものではなくなり、生命も不純になり、誰もが罪業を負っているため、滅されることになったのです。宗教ではこの種の罪は「原罪」と呼ばれています。天体宇宙を救うため、創世主の指示でこの世に降りた数々の神や主は、ここで人間になり、苦しみに耐え、自らを高め、罪を消し、自らを再び作り直し、それによって再び天国に戻るのです(創世主は人を救っていると同時に宇宙を作り直しています)。新しい天体宇宙は絶対的に純浄で美しいのです。厳しい環境の中にいても善なる念を抱き続け、現代的観念の波に直面した際、伝統的な考えを堅持し、無神論と進化論の横行を前に、まだ神を信じることができれば、このような人は救いを得て天国に戻ることができます。全ての乱れた世相は神が最後の時期のために用意したのです。その目的は衆生が救われ済度され得るかどうか、衆生に試練を与えるためであり、同時に衆生は苦しみに耐えることによってこの過程で罪業を滅することもできます。全ては人を救い、人が天国に戻れるようにするためです。

 それはすなわち、生きることは社会で成果を上げるためではないということです。人生の奮闘、努力、手段を選ばずに利益を得ることは人間を堕落させていることにほかなりません。世に降りきて人間になった目的は罪業を消し、自らをしっかり修めるためです。人間がこの世にやってきたのは救いを得るためであり、創世主によって救われ天国世界に戻るのを待つために人間になったのです。待っている間の生々世々、功徳を積み続けています。これも人間が輪廻転生する目的であり、乱世は衆生を成就させるためにあるのです。しかし、困難に直面したとき、神に助けを求めたが、満足した結果を得られなかったため、神を恨み、次第に神に反対する方向へと走り、場合によっては魔道に入り新たな罪業を作った人がいます。このような人は早く戻ってきてください。神に許しを乞い、悔い改めればまだ救われる可能性があります。実は人生の全て、そして得るべきか、得るべきではないかなどのことは、いずれも前世の行いの善悪に応じて次の世に現れた結果であり、前世に積んだ福徳の量によって今生または来世の福が決まります。福徳が多ければ、来世は福徳と引き換えに、高い地位と多くの俸給を手にし、または様々な金銭財産や福を得るのです。中には家庭生活の幸や不幸、場合によっては子どもへの影響も含まれています。これはなぜ金持ちがいれば、貧乏な人もおり、高官もいれば、ホームレスもいるのかのことの根本的な原因です。共産邪党が宣伝している、悪魔の主張である貧富格差の是正などのようなことではありません。宇宙は公平であり、生命の行いが良ければ良い報いがあり、悪事を働けば償わなければなりません。今生に償わなくても来世に償うのです。これは宇宙の絶対的摂理なのです! 天、地、神、創世主は衆生に慈悲深いのです。天、地、人、神は皆、創世主によって造られたので、一部の生命には優しく接するが、一部の生命には辛く当たるなどのことは絶対ありません。因果応報こそ、人生に福があるかどうかの根本的な原因なのです。

 得と失は現実では、社会の一般的な現象と同じように見えますが、根本には生命が自ら造った原因と結果として現れています。しかし、得ることと得られないこと、得と失は、人類社会ではその現れが人類社会の状況と合致しているため、生きている間、生活の貧富に関係なく、必ず善行を施し、悪事を働かず、善良さを保ち続け、天と神を敬い、人助けを自分の喜びとするなど、このようにすべきです。中国では昔、年配者はいつも今生が苦しくても天地を怨んだりせず、多くの善行を施し徳を積めば、来世になると状況が好転すると言っていました。つまり、前世で善行を施さず、福徳を積まなければ、神に助けを求めても効果がないということです。宇宙には宇宙の法則があり、神もそれに従わなければなりません。神がやってはいけないことを働いたら、懲罰を受けることになります。人間が考えているほど簡単なことではありません。あなたの要求は神が全部応えてくれないといけないというのですか? そうしたいなら、必ず前世に積んだ福徳がなければならず、福徳と交換するのです! これは宇宙の法理が決めたことだからです。しかし、根本から言えば、これは福徳を積む根本的な目的ではありません。生きている間、多くの福徳を積む必要があるのは、その積み重ねによって自らの天に帰る道を舗装するためであり、これこそ最も肝心なことです。人生の一時または一世の幸せを手にするためではありません!

 

師 李洪志

壬寅年十二月二十九日

二〇二三年一月二十日

(日本語翻訳は法輪大法明慧ネット日本語版より転載)