最近、中国では「ゼロウイルス運動」に抗議する民間での暴動事件が相次ぎ発生しています。11月9日は湖南省の株州市で抗議が行われ、11月14日には広州市で暴動が発生し、11月16日には河南省の鄭州大学で抗議が発生しました。その中にも、14日広州市海珠区城中村で行われた暴動が最も影響が大きいですので、この事件について集中してコメントします。

 今回の広州市での抗議は感染拡大防止のための政府の厳格な封鎖措置などに対する不満がある民衆が起こした抗議行動です。今回の抗議を暴動と言えるのは、抗議民衆が暴力で抗議を行い、政府が暴力で抗議民衆を弾圧し、抗議民衆には死亡者が出てきたからです。中国のソーシャルメディアには、インターネットユーザーが撮影した抗議現場の動画が多数投稿されています。これらの映像から見れば、少なくとも数百人のデモ参加者が街頭に出て、沿道のバリケードや封鎖フェンスなどを押し倒しています。

 デモ参加者たちは、「PCR検査は要らない」などのスローガンが唱えていますが、中には白い防護服姿の職員と物理的に衝突する者もいます。その後、警察は多数の警察車両を送り込んで警戒を強めます。デモ参加者の中には警察に向かって雑多な物を投げつける者も見られます。デモ参加者は14日の日中からPCR検査拠点の一部を破壊し、夜になると、より多くのところで封鎖フェンスやPCR検査拠点を壊す抗議者が出てきました。役人や防疫職員を物で殴ったり、警察車両を転倒させたり、海珠区庁舎に突入したりして抗議する人もいました。

 そして、当局が大量の警察を出動させて、暴力的な弾圧を余儀なく実施し、多くのデモ参加者が警察に捕まえられました。一部に地区では、警察が高圧放水で抗議民衆を分散させようとしていました。数名の救急隊員がある負傷者を蘇生させている動画もありますが、この負傷者の血が建物の中から道路に流れていることから、この負傷者は重篤な状態になっていることが分かります。地元の人によると、この負傷者は地区庁舎に突入した人ですが、公安警察或いは警備員に実弾で撃たれたそうです。この負傷者は即時に死亡したとの情報もあります。しかし、中共政府はいかなる情報も発表していないから、本当に死亡したかどうかは確認することはできません。実際には、広州市では海珠区のほかに、天河区などほかの地区でも、街頭でロックダウンに抗議する民衆がいました。こうした抗議活動の多くは、主に「城中村」というところで行われていましたが、この「城中村」には農民工などよその土地から来た出稼ぎ労働者が集中しているところですが、その中にも、湖北省から来た人が最も多いです。

 農民工たちの抗議理由は、ロックダウンのため、彼らの生活が深刻な影響を受けたからです。彼らは政府に家賃の減額を求めたり、食料支援を求めたりしましたが、政府は彼らの要求に応対しなかったです。これは、暴動事件の一つの原因だそうです。「城中村」に住んでいる農民工たちには、貯蓄が少ないため、いったんロックダウンされると、仕事を遂行できなくなるため、深刻な生活問題を抱えてしまいます。報道によると、複数の企業がロックダウン中の農民工たちに無償で物資を提供しましたが、支援物資が防疫職員によって一袋25元、ないし100元以上の価格で転売されたため、これが民衆の怒りにつながり、多くの人が率先して抗議を行ったそうです。

 暴動が発生したもう一つの原因は、海州区で出産間近の妊婦が、防疫を理由に防疫職員から外に出してもらえなかったため、妊婦は出血で死亡し、大人と子供の二重の死となった事件が発生したので、この事件が民衆の怒りに火をつけ、今回の抗議行動につながったということです。今のところでは、この二つの原因について、中共政府はいかなる正式な説明も発表をしないため、どちらも確認は取られていません。おそらく、中共政府は永遠に公式な発表をしないでしょう。しかし、どのような理由であれ、現在の中国本土の環境ではあり得ることだと、誰もが知っています。今年年始から実施された西安市や上海市のロックダウンから、妊婦や子供、お年寄りなどのような弱者が、病院に行くことができないため死亡事故になった事例が多発し、人々の感覚が麻痺してしまうほど多かったのです。

 偶然なことかもしれませんが、抗議当日の午後、大陸の「財新ネット」が特別記事を掲載し、広州市で封鎖されていた農民工たちが、ロックダウンが解除された後、「城中村」に戻ってきましたが、「城中村」がハイリスク地域となっているため、農民工たちは帰宅することができなく、全員が路上で寝泊まりすることを余儀なくされたと報道しましたが、その夜、「城中村」で大規模な暴動が発生したのです。今回の広州市での暴動事件は、中共の「ゼロウイルス」モデルが混乱期に入っていることの兆しだと思われています。特に、国務院の防疫最適化措置と言われる20条の政策が導入された後、その政策の各地域での実施には大きな差があり、非常に混乱しています。

 一部の地域では「防疫20条政策」と完全に反対の現象が現れています。広州市の農民工たちが、封鎖フェンスを壊し、PCR検査拠点をひっくり返し、パトカーまでひっくり返してロックダウンに抗議していることに対し、北京では、多くの社会人は24時間以内のPCR検査証明書を取得するために、まだ中止になっていないPCR検査拠点を探し回っています。一方、重慶市では、PCR検査を拒否した人が防疫職員に腕をひねられて骨折した人がおり、石家荘市では、政府がPCR検査を全面的に中止したため、小学生の親たちが一斉に子供の学校復帰を拒否しています。

 現在、中国では「ゼロウイルス運動」に抗議する活動が各地で行われていますが、なぜ、この度広州市での抗議活動が最も注目されるのでしょうか。皆さんは中国の広州蜂起についてご存じでしょうか。広州蜂起とは1895年に孫文が率いた清朝に対する武装蜂起です。1895年11月26日の第一次広州蜂起から16年かけて、11回の蜂起を経て、1911年10月10日、湖北省武昌市で蜂起が行われ、清朝の支配が覆されました。11回の蜂起のうち5回が広東省で行われ、そのうち3回が広州市で行われました。今回の広州市での暴動を広州蜂起と結びつけようとするのは、人々が次々と起こる抗議行動によって、いずれ中共の支配が覆されるよう期待しているからです。

 皮肉的なことは、習近平も中国人が血気に逸ることを望んでいます。去年、習近平は辛亥革命110周年記念大会で演説を行い、「110年前、孫文に代表される革命家が辛亥革命を起こし、世界に衝撃を与え、清朝政府を打倒した。辛亥革命は、深い社会歴史的背景を持ち、近代以降の中国の社会矛盾の激化と中国人民の粘り強い闘争の必然的結果であった。英雄的な中国人民は、決して屈することなく、救済と生存のために幾度となく戦い、暴力に抗う粘り強い意志を示し、自己の向上に努めてきた。孫文の指導と影響の下で、多くの革命家と無数の愛国者が中華民族復興の旗を掲げて、革命思想を広く伝え、積極的に進歩の潮流を起こし、次々と武装蜂起を起こし、革命の勢いを推し進めた。」と話しました。つまり、習主席自身も110年前の広州蜂起を認めています。もちろん、習近平の話は信用できません。習主席が110年前の広州蜂起を認めるのは、その精神を自分の目的達成に利用するためでしょう。しかし、数日前に起こった広州暴動については、習近平は絶対認めないでしょう。しかし、多くの中国人は、確かに今回の広州暴動が110年前の広州蜂起のようなものとなるよう期待しています。私も中共の崩壊時期が近付いていると思い、中共の崩壊を期待しています。

(文・李真実)