阮籍の肖像 唐・孫位「七賢図」の一部(パブリック・ドメイン)

 人に冷たい目つきで見られたときのことを、「白い目で見られた」と嫌な気持ちを表すことがありますが、それは「白眼視(はくがんし)された」とも言います。

 人に冷淡な態度を取る時、なぜ「白い目で見る」或いは「白眼視する」という言葉を使うのか、そしてその由来はなんでしょうか?

 その由来は、中国の歴史書『晋書』の「阮籍伝」にある、三国時代の中国の文人、阮籍(げんせき 210~263年)に関する記述とされています。阮籍は、青い目と白い目を使い分けることができ、気に食わない俗物と会う時には、白い目を使っていたと言われています。

 阮籍は実在の人物で、中国三国時代の思想家です。彼は後漢から魏への王朝交替期にあたる3世紀初め頃に、洛陽の名家に生まれました。

 『晋書』によると、若い頃の阮籍は、世の人を救う志を持っていましたが、策略と陰謀が渦まき、偽善や詐術が横行する政治の世界に失望し、政争から距離を置きました。彼は一時官職につきましたが、病気を口実にしたり、酒浸りになったりと、職務を避けるようなりました。

 阮籍は,世俗を超越した仲間七人で、しばしば竹林に集まり、清談と呼ばれる哲学を好んで話し合い、隠遁生活を送り、「竹林の七賢」と呼ばれていました。阮籍は「竹林の七賢」の代表的人物とされています。

 また、阮籍は形式的な礼法を嫌い、老荘の無為思想を理想とし、酒や音楽をこよなく愛し,人からは奇行に見えるような行動を度々行いました。しかし、礼法が嫌いとは言え、彼は決して他人の悪口を言わない極めて慎重な一面もありました。そのため、自分の気にくわない俗物が訪ねてきても、彼は口を開かず、白目を向けて、「おまえは帰れ」と言う合図で、相手に自分の意思を伝えたそうです。

 母親が亡くなった時、阮籍は悲しさのあまり大酒を飲み、号泣し、大量に吐血をしました。嵇喜(けいき)と言う人は礼法に則って、弔問をしてくれましたが、阮籍は白い目で迎えたため、嵆喜は怒って帰ってしまいました。それを聞いた弟の嵆康(けいこう)が、酒と琴を持って阮籍の家を訪れると、阮籍は喜んで青眼で迎えたといいます。

 後世、人を冷遇することを「白眼視」と言うようになりました。

清・任伯年「竹林七賢図」(パブリック・ドメイン)

 阮籍には甥がおり、その名は阮咸(げんかん)と言います。阮咸も「竹林の七賢」のうちの一人で、その中で二番目の年少者でした。彼は若くして叔父の阮籍と共に酒を飲み、礼法を無視し、当時の礼儀を重視する儒士たちに嫌われていました。

 阮咸は琵琶を善くし、音律に精通し、自分の流儀で琵琶を作りました。それは正円の胴に四本の弦の琵琶で、後に「阮咸」と呼ばれる楽器です。正倉院に保管してある「螺鈿紫檀阮咸」と「桑木阮咸」は、彼の名前がつけられた世界で現存する最古の「阮咸」です。

 阮籍は様々な奇行をしたことで有名ですが、それは戦乱の時代を生きるための智慧でした。阮籍は人生の意味を深く思索し、優れた著作や詩を残し、また琴の名曲も残してくれています。

 阮籍が作曲したと言われる琴の名曲「酒狂」の演奏動画をご紹介します。約1700年も昔に生きた阮籍の音楽の魅力、そして、彼の精神世界をご堪能ください。

(文・一心)