修理屋さんを信頼した夫は彼らから良いサービスをもらった。(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 この間、しばらく住んでいない家をリフォームするため、主人と相談して修理屋さんにリフォームをお願いした。価格は公開されていたため、簡単に相談した後、主人は鍵を修理屋さんに預けた。彼らは、今やっていることがあるため、二日後に工事を始めると言った。

 夫が鍵を知らない人に渡すことを知った時、不安な気持ちになった。彼らと今まで会ったことはなく、何をやっているのか全然知らなかった。その話を聞いた夫は笑いながら答えた。「うちを修理するために人を雇ったのだ。鍵を残すことは当然なことだろう。」確か何の貴重品もなく、ただの空いている家だ。

 二日後、外出の途中に偶然その家に立ち寄った。窓越しに見ると、修理屋さんがハシゴに登り、壁紙を剥がしていた。「本当に時間通りだね。」と私は独り言を言った。私が子供の面倒を見ている間、夫はあいさつしに行った。ついでに工事の進捗も聞いた。

 夫はしばらくすると戻ってきて、修理代金を一度に払ったことを教えてくれた。最初に手付金をまず払い、残金は工事が全部終わった後に支払うのが一般的だ。まだ疑問を抱いた私は夫に質問した。「先にお金を全部払ったら、途中で工事をやめたらどうするの。」夫は笑って聞き返した「それくらいのお金のために、彼らはそのようなことをする必要があるのか。」

 確かによく考えると、彼らの仕事は長い目で見れば、信用が非常に大事だ。しかし、知らない人を信用する夫の態度にも懐疑的だった。もしかすると、私が色々な話を知っていたため、潜在的に彼らを疑っていたのかもしれない。

 修理が始まって三日後、修理屋さんから電話をもらった。作業が終わったため確認をしてほしいとのことだった。私たちは家に入った瞬間びっくりした。以前とは比べ物にならないくらい綺麗になり、その上フローリングは専用の保護フィルムが敷かれていた。

 私は修理屋さんが細かいところにもこだわる態度に深く感心した。少し話した後、一つのことが分かった。それは、保護フィルムは通常家のオーナーが支払うものだが、私たちが彼らを完全に信用し、事前に全額を支払った夫は良い人だと思ったため、保護フィルムを無料で貼ってくれたとのことだった。

 彼らと別れ、帰り道にいろいろなことを考えた。人を信頼すると好循環ができるものだ。修理屋さんを信頼した夫は彼らから良いサービスをもらった。逆に、信頼しないということも循環ができる。一方が他方を警戒すれば、他方も警戒し始める。結果的に、両方とも相手を警戒するあまり消耗し、疲れてしまう。もし、人々が善意を抱き、信頼の好循環を続けることができるなら、この世界もより住みやすい場所になるのではないだろうか。

(文・青松/翻訳・平清竹)