清院本『清明上河図』一部 ( パブリック・ドメイン)

 「本堂葵兌川廣地道藥材」という文字から、宋代の薬屋は薬を売ることに加えて、北部と南部の薬の交換と流通を担っていたことが伺える。現在でも四川省、広東省、広西省の薬材は、その質と量の高さでよく知られており、依然として医学界から認識されている。この絵には、薬屋の店員がベンチに座って足を転がしている様子も描かれている。この道具は今日の中国でも必須の道具として使われている。中国の歴史の中でも、宋代は医療事業が繁栄した時代である。『清明上河図』には医学、薬材に関する資料が描かれており、後代に鮮明で珍しい情報を残した。

 

清院本『清明上河図』一部 ( パブリック・ドメイン) 

 『清明上河図』は漢方の状況も反映している。絵の中には、接骨医の隣に薬屋があり、看板には「本堂法制應症薬剤」と表示されている。この絵から、宋代の医療と医薬品管理は、同じ機構にあることが考えられる。宋王朝政府は、医薬品の成分と投与量、調合方法についていくつかの規制を設けている。薬屋は医薬品の製造と調合に「法」を使用しなければならず。これらの規制の広範な実施はまた多くの効果的な民間処方箋を促進した。医師と患者は必要な医学的知識を習得し、医学的知識の促進と医療事業の発展に積極的な役割を果たしてきた。

 

清院本『清明上河図』一部 ( パブリック・ドメイン)

 『清明上河図』に反映されている医療活動は、宋代の医療事業がかなり発達していることを示している。専門医の中には、政府の医者と民間の医者がある。内科、小児科、骨傷科、祝由科など部分に分かれている。そして「自分が貧しくても利を求めない」の看板から、医療倫理は医者の必要条件であり、医療倫理が重んじられていた時代であることがわかる。

(おわり)

(翻訳・柳生和樹)