(イメージ:Takashi Mukoda/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0

 世界の約3割の人が箸で、4割が手で、残り3割がナイフ・フォーク・スプーンで食事をしているという統計がある。これは、食物の違いや調理法に起因すると考えられている。粘り気のある米を主食とする地域や麺を主食とする中国の地域では箸が比較的使いやすいのだ。

箸の歴史

 人間は箸をいつごろから使い始めたか、確証された説はないが、多くの考古学の文献には、安陽殷墟(BC1600 – BC1046)の墓から出土した6本の青銅製の箸が一番古いものとされている。しかし長江と淮河流域の東部にある龍虯莊(りゅうきゅうそう)新石器時代の遺跡から出土した42本の骨製の箸は、その歴史を更に3千年早めた。

 殷の紂王時代(紀元前1100年ごろ)にすでに象箸(象牙の箸)が使用されており、歴史の中には金の箸、銀の箸もある。箸に当たる記述として「箸」、「梜」、「梜提」、「筴」、「筯」、「快」、「快子」、「筷子」、「快児」などが用いられることから見れば、昔から箸は主に竹製のものか木製のものが一般に使われていたようだ。

箸と麺食文化

 食事の道具としては、手を使ったり、さじや小刀を使ったりできるはずだが、なぜ数千年前の古代に2本の棒のような箸を使う必要があったのか? この問題には新しい考古学の発見から答えが得られた。

 2005年に約4千年前の青海喇家遺跡(せいかいらつかいせき)から、今まで世界で最も古い麺の実物が発見された。これらの古い麺は、長くて細く、黄色を呈しており、密封した状態で逆さに置かれていた碗の下にあった。科学者の検証によればこれらの麺はアワとコウリャンの2種類の穀類で製造されたものと判明した。アワは中国本土の穀類で、7千年前からすでに広範に栽培されていた。フィラデルフィア・ペンシルバニア大学の考古と人類学博物館の考古学者であるパトリック氏は「喇家遺跡から発見されたこのような長くて細い麺はたとえ今日であっても熟練した技術を持っていなければ作れないものであり、これは当時相当高い食品加工と調理の技術があったことを示している」と指摘した。考えてみれば、このような麺を食べる時に、手やさじ、小刀を使うより、箸の方が最も適切な道具かもしれない。

箸と民間文化

 2本の箸を陰と陽に喩え、手に持って使う時、上に置いて、主動に動くものを陽とし、下に置いて、受動に動くものを陰とする。2本の箸は陰と陽の相互依存、相互対立の特性を表している。

 民間の文化活動の中でも、箸は重要な役割を演じている。線香のように箸を挿して天に祀り、仏壇の前に箸を並べて神様を敬う以外に、一部の地域や民族の中で特別の意味を込めて箸が贈答品として使われている。恋人に贈れば、2人が永遠に別れないことを表す。新婚の人に贈れば、陰と陽の交合で早く子供に恵まれるようにという祈りの意味を表す。友人に贈れば、平等と友愛を表す。高齢者に贈れば、快楽と長寿の意味を表す。子供に贈れば、早く成長するような意味を込める。

箸の活用法

 箸は日用品として至る所にあり、便利な道具として様々な生活の面で使われてきた。例えば武術者は箸を武器として使い、演奏家は箸を楽器として使い、軍人は箸を軍勢布陣の演習に使い、占い者は箸を占いの道具として使うこともある。また銀は硫黄や砒素に反応して変色するため、銀の箸は毒物を試すことに使われた。

 その他に古代の秘密結社の人たちは箸を連絡の暗号として使った。旅先の食卓の上に箸を特定の図形に並べ、これを識別して仲間を判別した。清朝と民国の時代には箸が賭博の道具としても使われた。3本の箸を高いところから落として地面に落ちた箸の構図で勝負を決める。更にくじ引きの道具としても使われ、しるしをつけている箸を他の箸の中に混ぜて引かせる。

日本で箸を使う歴史

 日本では、弥生時代末期の遺跡から1本の竹を折り曲げピンセット状の形にした「折箸」が発見されているが、食べ物を口に運ぶためではなく、神に配膳するための祭祀・儀式用の祭器として使われたものであろうと言われる。三国志巻30魏書30東夷伝にある魏志倭人伝によるいわゆる邪馬台国においては「食飲用籩豆手食」と手で飲食しているとあり箸の使用は記述されていない。2本で1膳の「唐箸」を食事に使い始めたのは、5世紀頃とも、6世紀中頃に仏教とともに百済から伝来してからとも言われるが、朝廷の供宴儀式で採用したのは聖徳太子とされ、607年に遣隋使として派遣された小野妹子一行が持ち帰った箸と匙をセットにした食事作法を取り入れたものと言われる。日本で最も古いとされている箸は7世紀後半の板蓋宮跡および藤原宮跡からの出土品とされる。

(文・東方)