武当山の金殿(gongfu_king, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons)

 中国・湖北省の北西部にある武当山の最高所は、海抜1,612メートルの天柱峰です。その天柱峰の頂上には、有名な武当山の金殿があります。昔の金殿には避雷設備がなく、雷が鳴るたび、火玉が転がり、稲妻が散り、千百年の間に、金殿は何百何千回もの落雷を受けてきました。しかし、金殿は全く損なわれてないだけでなく、燦然と輝き、煌びやかで美しく聳え立ちます。その神秘性は人々を魅了させました。

 金殿は明王朝の永楽14年(1416年)に創建されたもので、本堂の面積は13.7平方メートル、高さは5.54メートル、重さは数百トンに達します。史料によると、金殿の全ての部材は現在の北京で鋳造され、運河から現在の南京を経て、長江を沿って武当山まで運ばれ、枘接ぎ(ほぞつぎ)の技法で作られました。中国に現存する最大の金メッキ銅鋳の大殿です。

 武当山は道教の主要な発祥地の一つです。ここには、道教の代表的な作品が無数に集まっており、古人の知恵と科学技術を余すところなく表現してくれました。「九曲黄河壁」や「雷火煉殿」などの千古の奇観を作り出し、その神技に惹かれる人々の燦爛たる記憶として刻み込まれました。

 数々の不思議な現象の中で、最も人の心を揺さぶるものは「雷火煉殿」だと言えるでしょう。

 雷雨の日に、天柱峰の頂上にある金殿の周囲には、鎖のような太い電流が流れ、雷鳴とともに巨大な火玉が次々と転がり、金殿を洗礼しているように見えます。その光景が驚心動魄(きょうしんどうはく)で、とてつもなく壮観になります。

 しかし、雷雨が過ぎると、金殿は全く損なわれてないだけでなく、まるで新しく生まれ変わったかのようでした。それゆえに、この現象は「雷火煉殿(雷火が金殿を鍛錬する)」と呼ばれ、千百年もの間に、武当山で最も神聖かつ神秘的な光景でした。

 もちろん、「雷火煉殿」の奇観以外にも、「祖帥出汗」と「海馬吐霧」という二つの奇景もあります。

 雷雨の直前になると、金殿に祀られた神像は大汗をかくように、水のしずくが神像からしみ出し、豪雨の到来を告げようとしていました。それと同時に、ある海馬の彫像が「オイ、オイ」と音を立て、白い霧を次々と吹き出し、雷電の中の神の降臨を待ちかまえているかのようで、まるで仙境を作り出しているように感じます。

 古代の人々は、これらの不思議な現象を「神の御業」に帰結します。しかし科学技術が発展した今日、人々は科学知識を用いて金殿の奇観を解釈し、分析しようとします。

 現代科学の観点から見ると、「祖帥出汗(祖帥の汗かき)」の現象は、金殿の構造が厳密だったためです。建築の初期には、熱膨張・冷収縮の原理を考慮したため、気温がどんなに変化しても影響を受けないように、金殿は常に厳密で水漏れしない状態を維持しなければなりません。しかし雷雨の天気には、気圧の変化に応じて水滴が出てくるわけです。そして「海馬吐霧(海馬の霧吐き)」の現象は、中空構造の原理を利用したためです。

 中に最も不思議な「雷火煉殿」現象は、皆さんもよくご存じの、雷電の応用です。金殿の原材料である銅は、非常に優れた導電材であり、雲が大量に集まるたびに、地面と雲の間にできた大きな電位差がその銅材に導かれて、衝撃的な雷火が現れます。「雷火煉殿」という奇観がこのように出現しているのだそうです。

 科学観点をもって、人々は科学試験を重ねた結果、武当山金殿の三大奇観の中、「祖帥出汗」と「海馬吐霧」現象は簡単に再現できますが、「雷火煉殿」は到底真似できないことが明らかになりました。研究者は金殿の金の天井に避雷針を取り付けましたが、これが大変な蛇足になりました。落雷の回数が増え、金殿の父母殿と金殿本体の「須弥座」が雷で何度も壊れ、金殿の裏側にあった千年の松も失われ、「雷火煉殿」の奇観そのものも二度と再現しなくなってしまいました。以来、「雷火煉殿」とその消失が、科学界の大きな謎になりました。

(翻訳・清瑩)