(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 引き潮の時、砂浜には多くの水たまりが残っており、その水たまりの中には小魚がたくさんいます。浅瀬に引き上げられた小魚たちは、次の潮時まで、海に戻ることが難しくなっています。

 そんな小魚たちを助けてあげたいとはしゃいでいる子供たちは、親である私たちと小さな「救援隊」を組みました。「隊員」たちは、水たまりにいる小魚たちを海へと帰したい!簡単そうに聞こえますが、バケツを持っていざやってみると、とても難しいことだと気づきました。

 小魚たちは、浅瀬にいることをピンチだと思わず、水たまりにいても、自由に泳いでいます。私たちは小魚たちをバケツに入れたいのですが、動きがすばしっこいので、すぐに逃げられてしまいます。それに小魚たちは、砂浜の砂と同じ色をしていて、とても判別しづらいです。

 時間をかけて苦労しても、7匹の小魚しかバケツに入れられなかったのです。そろそろ家に帰る時間になってきたから、私たちはバケツに入れた小魚たちを海に帰して、「救援隊」を解散しました。7匹の小魚しか助けてあげられなかったとはいえ、「救援隊」はよく頑張ったと思います。

 帰り道に、まだ水たまりにいる小魚たちを思い、胸が熱くなりました。どれだけ頑張っても、小さくて儚い命を全部助けることができません。どれだけ努力しても変えられないことがあるのです。運命の中に無いものを、いくら追い求めて努力しても、得ることができないように。しかし、よく考えると我々人間にも共通していて、これは本来、いのちあるものすべての定めであり、法則のようなものではないでしょうか。まだ水たまりにいる小魚たちは、それぞれの定めに従って、行くべき処へ行き着くようになっているのでしょう。

 浅瀬に立つ私たち人間は、水たまりにいる小魚たちが危ないと思います。しかし小魚たち、泳げる水たまりがあれば、それで充分かもしれません。「危ない」と思うのは、私たち人間は立つことができ、小魚よりも遠くまで見ることができるからです。しかし水たまりに泳ぐ小魚たちは、私たち人間ほど遠くまで見ることができませんので、あんなに楽しそうに泳ぐことができるのでしょう。

 ならば、私たち人間にも、小魚たちと同じく、気づいていないだけで、身に危険が降りかかろうとしていることはないのでしょうか。楽しく過ごしている最中にも、すぐそばに迫っている危険に気づかないこともあります。目に見える危険だけを警戒していれば良いというものではありません。

 ですので、危機感を持ちながら生きていくことを、昔の人もたくさん教えてくれました。油断をせず、常に目覚めていなくてはいけません。視野を広げてこそ、物事をもっと大きく、高く、遠くまで見渡すことができるようになります――。

(文・青松/翻訳・常夏)