小さな目、大きな世界(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 昼休みの時間。息子のまことは私のそばで寝ています。まことのその寝顔は、とても静かで、どこか甘く感じます。

 しばらくしたら、まことも目を覚ましました。目を開けて最初に見たのが母である私だからなのか、とても嬉しそうに、ニコッと笑いました。

 笑顔で細めたまことの目を見て、私はふと、「ねえねえ、まことの目とママの目、どっちが大きいと思う?」と息子に聞きました。

 まことは、「ママの目が大きい!ママの目がこーんなに大きくて、ぼくの目がこーんなに小さくて…」と、大げさに手で円を描きながら言いました。

 まことの目は一重で、私の目は二重です。自分の目がママの目より小さいことくらい、まことも分かっています。目の話はここで終わったかと思いきや、まことはさらに続けました。

 「ママの目は大きいから、色んなものが見えるんだよね。ぼくの目が小さくて、積み木とロボットしか見えないんだよね…」と、まことは棚に置いてあるおもちゃを指差しながら言いました。

 まことの発想はあまりにも可愛くて、私はつい、声を出して笑ってしまいました。どうやら、大きな目の人は大きな世界が見えて、小さな目の人は小さな世界しか見えないと、まことは思い込んでいます。私は、目の大きい、小さいに関係なく、私たちが見える世界は一緒で、小さな目でも大きな世界が見えるんだよと教えました。

 まことと話してるうちに、私は不思議なことに気づきました。人の顔立ちは十人十色ですが、創造主の人間に対する愛は平等です。身長や体、目の大きさに関わらず、すべての人間は、みな同じものが見えるようにしてくれています。

 目は心の扉だとよく言われます。私たち人間は、みんな同じように目を通して外の世界を見るのですが、何を見るのか、或いは、何が見えるのかは、私たち自身の心で決まります。真実が覆われ、物事の本質を見えなくされても、自分の心次第で、隠された真実を見抜くことができるのです。これこそが心で見る大きな世界です。たとえ同じ大きな世界が見えても、異なる心の角度によって、見え方が変わり、歩む道にも違いが出てくるのです。そういうことなのです。

 顔立ちによる目の大きさに拘らなくても良い、心が広ければ、小さな目でも、大きな世界が見えるのだから――。

(文・青松/翻訳・常夏)