殿試の様子(Ming Dynasty Painting, Public domain, via Wikimedia Commons)

 隋王朝が推薦制度を廃止して、科挙制度を始めてからは、優れた人材は表に出るようになり、庶民も出世することができるようになりました。しかし、そんな科挙制度が今、時代遅れの「八股文(はっこぶん)」と揶揄され、重要視されません。
 光緒三十年(紀元1904年、甲辰年)の7月4日、清王朝の礼部は恩科(おんか、特別に行う科挙)を行いました。翌年、清王朝は科挙制度を廃止したため、この甲辰恩科は中国科挙史上最後の科挙試験となりました。ここで、甲辰恩科の試験問題を抜粋して、皆さんにお見せします。

会試
 会試(かいし)は、郷試(地方試験)の翌年の春に礼部の主催で挙行されるため、「礼闈(れいい)」「春闈(しゅんい)」とも呼ばれます。連続3日間の試験を3回行う会試は筆記試験で、翰林院大学士もしくは内閣大学士が試験官を担当します。

頭場:史論(5問)

問題1 藩鎮(はんちん)
周は封建制で国を統治するが、やがて諸侯の権力が大きくなり、天子は支配される立場になった。唐は藩鎮制度で国を統治するが、やがて藩鎮の権力が大きくなり、事実上、藩鎮の地方政権を形成した。一方、秦と北魏は中央集権制で国を統治するが、皇帝の権力が大きく、地方の権力が小さくなった。二つの制度のそれぞれの利点を比較して論じなさい。

問題2 平戎(へいじゅう)
匈奴問題に対し、賈誼は「三表・五餌」という懐柔策を掲げ、平和的な手段で敵に打ち勝つと主張するが、陳腐な策だと班固に揶揄された。しかし、秦の穆公は懐柔策をもって遊牧民族の西戎を征服した。中行説も懐柔策の危険性を匈奴(騎馬民族)の単于(君主)に警告した。よって、懐柔策は無用ではない。これに対する自分の見解を論じなさい。

問題3 変法(伝統的な政治制度を全面的に改革すること)
諸葛亮は、申不害や商鞅のような残忍な心を持たないが、法家の術による統治を図ろうとした。一方、王安石は、申不害や商鞅のような厳しい新法を推し進めたが、悪名を避けるためあえて法家の術だと称しなかった。これに対する自分の見解を論じなさい。

問題4 舉賢(きょけん)
「中興の名相」と呼ばれる唐王朝の宰相・裴度は、全国の有識者の知恵と方策を集めるため、宰相宅での面会の許可を唐の憲宗に求めた。これに対する自分の見解を論じなさい。

問題5 以夷制夷(他国の力をかりて自分の利益を得る)
北宋は金と組み遼を侵攻したが、やがて金に侵攻された。また南宋は元に協力し金を滅亡させたが、やがて元に滅亡された。これに対する自分の見解を論じなさい。

<解説>頭場という第一回試験は、中国の歴史に起きた事件や人物に対して、受験者の自分の見解をどのように論ずるのかをみる問題が出されます。問題1と問題2は国土、問題3は改革、問題4は人材推薦、問題5は外交政策に関する問題です。すべての問題が「論」の文字で終わり、受験者の歴史の知識、そして議論力を問います。

二場:策問(5問)

問題1
学堂の建設には三つの理由があり、すなわち、国民の陶冶、人材の育成及び実業の振興の三つである。国民の陶冶とは、国民の人格と心理、道徳、価値観、常識の教育であり、中には日本の「尚武」の教育は良い例として挙げられる。人材の育成とは、政治や法律、財務、外交などの専門知識と実践の教育である。また、農業、工業、商業と鉱業などの学問を通じ、国を富裕にして、民に利益をもたらすのは実業の振興である。この三つの中の一番火急に必要なのはどれかを論じなさい。

問題2
西洋人の侵略は、土地の確保を掲げるが、それを主要な目的とせず、本当の目的は利益であった。百年以来の史実を詳しく列挙して証明しなさい。

問題3
日本の維新の当初、外国人を積極的に起用し、国を強くした。一方、エジプトの改革も外国人の起用に力を入れたが、逆に財政権と司法権を失い、国も強くならなかった。それぞれの利害得失を比較しながら論じなさい。

問題4
周礼が農業を最も詳しく論じるように、古来、中国は農業を重視してきた。そのうえ、農業における「人の力」の主導的な役割を重視してきた。一方、近年の世界各国の研究成果を見ると、農業における「環境と気候」が主導的な役割であり、次に「土地資源」、その次に「資本」、最後は人の力である「労力」を論じる。我が国は今、農学を専門科目として設立し、先祖代々伝わる農学成果の遺産を研究し、次の代にも伝えていくことを望む。農業の発展に関する自分の策を述べなさい。

問題5
アメリカは中国人労働者を差別・排斥し、関連する法令も出てくるまで時間がかかった。法令が十年の期間を過ぎた今、我々は急いで国際法を援引し、当の法令を反駁すべく、アメリカに居留する同胞たちを守るべきである。その具体策を述べなさい。

<解説>二場という第二回試験は、世界各国の政治・芸術・学術において、政治の得失や時事に対し、受験者がどのように意見を述べるのかをみる問題が出されます。問題1は教育改革、問題2は外交政策、問題3は変法改革、問題4は農業政策、問題5は国際法に関する問題です。すべての問題が「策」の文字で終わり、受験者の政策や戦略を決定する能力を問います。

三場:経義(3問)

問題1
大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善義。
(大学の道は、明徳を明らかにするにあり、民を親しむことにあり、至善に止まるにあり。その意味とは)

問題2
中立而不倚、強哉矯義。
(中立してどちらにも偏らない、これほど強い事はない。その意味とは)

問題3
致天下之民、聚天下之貨、交易而退、各得其所義。
(天下の民を招き寄せ、天下の品物を集め、交換や売買をして帰り、それぞれがその所を得る。その意味とは)

<解説>三場という第三回試験は、四書五経から選ばれる言葉の意味を、受験者がどのように説明するのかをみる問題が出されます。問題1は儒教の経書『大学』から出典し、「大学」の意味を問います。問題2は『中庸』から出典し、「中庸」の意味を問います。そして問題3は『易経』から出典し、経済学に対する見解を問います。すべての問題が意義の「義」の文字で終わり、受験者の経典に対する理解と説明力を問います。

殿試
 会試を合格した受験者は「貢士(こうし)」と称され、同年の4月に行われる殿試(でんし)を受験する資格が得られます。殿試は、1日で終わる筆記試験で、皇帝が自ら出題し、試験官を務め、そして上位十名の受験者の順位を決めます。殿試では、1問しか出題しませんが、その1問が500文字以上もあり、とても長く、出題は極めて広範囲でした。そのため、この記事では重点的な試験ポイントのみを抜粋しています。

① 公務員試験の改革について
「変わり続ける世界を目前にして、重要な職には、良い人材を任命しなければならない。学堂、警察、外交、工芸などの分野は皆、その分野を熟練する人しか適任ではない。また、大きな責任を担う管理者になってもらうには、その人の見聞を広め、責任感を持ってもらうことが重要である。しかし今、全国各地の塾で、公務員になりたい人たちに教える知識の多くは、ただ形だけあって実際には行なわれていない規程にすぎず、人材に対する真摯な渇望になかなか応えられない。この現状を打破できる良い方法を述べなさい」

② 軍事制度について
「中国歴史上の軍事制度について、今日の情勢をもって論じなさい」

③財政制度について
「古来、中国の講じる「理財」は、世界各国の「予算」や「決算」との異同を述べなさい」

④ 人材選抜制度について
「人間の習性の正邪は、教育の得失に関わる。歴史を見ると、周王朝には「司徒」が礼儀典範を修め、「選士、俊士、造士」を任官の制度にした。前漢王朝は「明経」を重んじ、孝廉・賢良などの科目を設け、当時は賈誼と董仲舒のような賢士が名を馳せた。後漢は節義を重視してきて、「清議」と「標榜」という世論の評価制度に対する不評もあったが、その不評は果たして適切だったのだろうか。唐王朝の初期、古代の文献と経典への研究が最も盛んになった。中期以降、仕官しようとする人々は、高官や要人に向ける「温巻」という売名行為をするが、その内容も歴史の研鑽を通じて、世運隆替の原因を探ろうとした。今、天下の邪智奸佞を消し、正統派の学問を着々と発展させようとしたら、どのような道を歩めばいいのだろうか」

 いかがでしょうか。科挙試験の問題集から見ると、自然科学などの現代学科の欠如という科挙制度の欠点があります。しかし、先哲の経典から東西の時事まで、受験者が一生涯に勉強したことを実際に有効活用することを、科挙制度が重要視しているという点は、誰も否めません。どうやら、科挙はただの時代遅れの「八股文」ではなく、国のために確実に有益な人材を選抜する重要な役割を果たしているようですね。読者の皆さんも、この問題集を試してみてはいかがでしょうか?

(翻訳編集・常夏)